「一億総活躍社会」という言葉を聞くと、私は、心が憤る。
安倍首相の発想なのだが、彼は、人をどう考えているのか。
人を、生産効率性でしか見ていないのだろう。
国民はみんな、がんばって働いてもらわなければならない。
生産性の乏しい人は、価値がないとおそらく思っているのだろう。
私は、相模原障害者施設殺傷事件のことを思わずにはいられない。
戦後最悪の大量殺人事件で、しかもその施設の入所者は、全員が重度の知的障害者(食事や入浴、排泄などの介助が必要)な方である。
安倍首相のいう生産効率性は、ゼロなのだ。今までもゼロだし、これからもゼロ。
日本では、全ての命はその存在だけで価値があるという考え方が当たり前ではないようだ。
社会的に弱い立場の方は、守っていかなければならない、サポートして行かなければならないという考え方が、残念ながら根づいていない。
この事件は、多くの方が論じてきたので、私は、次の点だけお話ししたい。
おそらく、同じような事件がアメリカで起きた場合、大統領は、すぐに声明をだし「あってはならない、大変悲惨な事件がおきてしまった。」とし、現場に駆けつけるだろう。
そして、国民に呼びかけ、国家的大事件として、国民がともに悲しむであろう。
オバマ前大統領のみならず、今のトランプ大統領でもそうするだろうと想像する。
聖書的でない、とんでもないことが起きたからだ。
一方、日本では、何か闇から闇のような雰囲気すら感じる。
指導者が積極的に関与しようとしない。
特異な事件として整理し、本当は、あまり論議したくないのだろう。
というのも、「一億総活躍社会」の思想が生み出している闇の部分なので。
このもっとも弱い立場にある方の、悲惨な事件を思う時、神の御心はいかにと思う。
マタイ
25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
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