ヤコブは嫌いだ、という人は多い。
確かに、こずるい、ごまかす、自己中心そのもの。
まさにそうなので、ヤコブは、自ら蒔いた悪い種を自ら刈り取ることになる。
そして、大変苦労のたえない人生となる。
しかし、ヤコブ的性格が、あなたにはないだろうか。
少なくとも、私にはある。
自分がかわいい。自分さえよければいい。本当に罪深い自分。
しかし、これが人間というものではないか。
しかし、神は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と聖書には書かれている。
ヤコブの神とも書かれているのだ。
神の狙いは、そんな私達人間の典型ともいえる自己中心的な彼を打ち、鍛え、そして励まし、人が変わっていくということを、私達人類に示したかったのではないだろうか。
聖書には、相当多くの部分をヤコブに割いている。
あまり、好きでないと言われるヤコブの晩年は、神に刈り取られ、すごいレベルにまで成長しているのではないか。
エジプトのパロを前にした振舞い、そして、子供達に対する預言等、神によって偉大な人間に変えられている。
神が私たちに教えたいこと、神のご計画とは、何と奥深いことなのだろう。
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