福音の喜びとは何だろう。

自分には天国にいく資格がないと思われた人に福音が語られるのだ。

ルカ6章に書かれている。

6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。

6:21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。

 

一方、思いがけないことに、天国にいける資格があると思われた人が、そうでないのだ。

 

6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。

6:25 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。

6:26 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。

 

自分は、大丈夫だと思わないようにしよう。

自分が、ひとかどのクリスチャンと思ったときが危険かもしれない。

気をつけよう。

 

ルカ18章9節~

18:9 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。

18:10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。

18:11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。

18:12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』

18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』

18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

参照ブログ(8月11日)

クリスチャンになった瞬間から、第2のパリサイ人が始まっていることを、自覚したほうがいいだろう。

 

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