私は、この世での役割として、神様から命じられていることは、神の栄光を現わすということだが、具体的には、二つあると感じています。

一つは、生活相談サポートセンターの活動、つまり、社会的に弱い立場にある方々への支援であり、もう一つは、クリスチャンになることが、遅かったメリットを活かして、聖書を読む必要性を伝えていきたいと言うものです。「死ぬまでに必ず聖書を読んでおく必要性」を出版したのも、その理由によるものです。

また、クリスチャンの方にも、新鮮な印象があるようです。

 

考えてみれば、私は、聖書関連の本やクリスチャンの文学書、哲学書を読んだことはあっても、聖書を本格的に読んだことはなかったわけです。本物に直接、取り組むということは、何より大切で、その土俵の上で、相撲を取らせていただくことなしに、本質を知ることになりません。

 

私が、若い時に感じたことをお話しします。

私は、大学で競技スキー部に入りました。回転や大回転などのアルペン競技です。

私は、1年生の冬に、学校の裏山にスキーができる場所があり、そこに数本のポールを立て、練習しました。そこが、近くて手軽でもあり、中心的な練習の場に、なったわけです。

そして、結構上手に滑れるようになり、1月に開かれる全道選手権地区予選に備えたわけです。

そこは、北海道のニセコの本格的スキー場でした。

自分では、そこそこうまくなったつもりで、試合に臨みましたが、完全に打ちのめされました。

 

大回転レースでしたが、わずか2関門目に、耐えきれず転倒そしてコースアウトでした。

裏山で磨いた技術は、全く通用しなかった。のちほど、それを揶揄して裏山テクニックと名付ける。

まずは、斜面の状況が全く違う。裏山は、柔らかだったが、レース場は、完全なアイスバーンでカリカリの状態。また、私はシード権もなく100番台のスタート。カリカリの状態に、縦溝が不規則にえぐられ、こんな雪面、滑っこともない。

スタートした瞬間に、やっとわかりました。「ああこれが本当のレース場なんだ」

知らないということは、恐ろしいものです。

今までのやり方、認識が正しいと思っている。それが、世界だと思い込んでいる。

まさに、「井の中の蛙」状態です。

それ以来、私は、本格的なスキー場に身を置いて、自分を試すようになりました。

 

聖書も、似たようなところがあり、直接、読んでみないと、その土俵に立ってみないと決して解らない。解説書を読んでもムダであり、間違ったイメージを増幅させるだけである。

従って、本物の聖書を読んでみる、それを是非試していただきたい。読まずして、キリストを論ずることはできない。

読んで、イエスキリストと相撲をとってみる。

直接ふれ合うことによって、イエスのすごさと愛を知ることになる。

 

もし良かったら、一日一回、感謝です。

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