現在、聖書通読の箇所は、エゼキエルと黙示録ですが、それで感じたことです。
エゼキエル22章26~31節で、イスラエルへ憤りを注ぎ、彼らを絶滅すると告げている。その理由は、首長も預言者も、一般の人々もみんなダメで、神に仕える者を探し求めたが、いなかった、だから滅ぼすと書いてある。
一方、イエス・キリストは、私達を救い、罪を許してくれたが、黙示録を読むかぎり、旧約の神も新約の神も、変わらないと感じる。
愛の神であるが、それゆえ、とても厳格な神でもある。
特に7つの教会への書き送りを読むと、イエスは、教会やクリスチャンの有り様を思い「いったいた何をやっているんだ。」という叱咤が、私達にも聞こえてきそうである。
つまり、約束の民であるイスラエルと同様に、救った我々クリスチャンにも「それで、いいんだよ。」とは、けっして言っていないようだ。
真の神の教会たることを、強く求め、妥協はないだろう。
そのことは、私達一人一人のクリスチャンにも全く同じである。
「わたしは、あなたをたえず見ている。あなたの考えも行いも知っている」
「しっかりする様に」
「あなたに対する期待は大きい」
「それは、あなたをとても愛しているからだ」
「しかし、あなたには、改めるべき課題があり、それを見つめ解決しようとしていない」
「ぬるま湯につかっていないか」
「自己を砕き、悔い改めよ」
「そして、死に至るまで、忠実に誠意をもって歩み続けなさい」
「そうすれば、わたしはあなたに、いのちの冠を与えよう」
私達が、だめでふがいなくても、、叱咤激励してくださる方が、いつも共におられる。
そのような方がおられるということは、何と幸せなことか。
しかもその方は、天地を創造され、この私達を選んでくれた万能の神、主であられる。
信じられない特権に感謝し、喜び、力をいただき、神の大いなるご期待にそった人生を送りたいものです。
もし良かったら、一日一回、感謝です。