どうしたら、世界が平和で、格差のない穏やかな社会になるか、考えることがある。
朝に、「御国出行われていることが、この地においても行われますように。サポートセンターにおいても行われますように。」と、お祈りする。
本当に、そうなることを願っている。
私のライフプランは、神から命じられた具体的なミッションを、行うことに尽きる。
今の社会的弱者をサポートする活動と神の証人になることである。
そして、この世においても、神の御国が実現するために、自分としてどのような日常行動をすべきか。
ポイントは、自分ができないようなことを、他者に求めたり、世界に対して願っても、無責任で意味のない観念的なことになる。
つまり大事なことは、「多くの人々がこのような行動をとれば世界がよくなる」と思うことを、自らがまず行ってみることではないか。
そういう点で、「世界が平和で、格差のない穏やかな社会」になる為、私が心がけているのは、できるだけ、質素でシンプルな生活を行い、私達夫婦の時間や余力を、困っている隣人に向けるということである。
その考え方を、直近3回のブログで整理した。
幸いにして、神様から、健康で、ある程度の能力が与えられた人は、自分の為ではなく、不幸にして困っている立場にある方々をサポートする役割を、負ってもらいたいと考えている。
自分の体力、能力、財力を、各自の状況に応じてシェアーすべきであり、それを神様は願っていると思う。
子育て中の方と、ある程度その責任を終えた方(私達の世代)とは、その役割のはたし方や分量は、違ってくるとは思うが、そういう輪を、広げたいと願っている。
神は、弱い立場にある人へのいつくしみの思いは、とても強く深い。
神様からいただいた、一時的な預かりものを、周りの困った方に与える、それが、具体的
な隣人愛のあり方だと思う。
その考え方が、世界中の多くの方に浸透した場合、ほとんどの国際的及び国内の諸問題が、解決すると、私は信じている。
だから、微力で小さな夫婦の行いだが、それが集まって大河の一滴になるのだから、信じ行いたい。
分け与えることへの躊躇する気持ちも、私も経験上理解できるが、その報いは、とても大きいことも、経験上知った。神は、その行いに対してのバックアップそして私生活に対する恵みは、計り知れない。
この世での役割を終わった後の報いは、さらに大きいだろうと信じている。
使徒20:33
20:33 私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。
20:34 あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。
20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
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