生活保護を受ける立場について考えてみる。

私は、多くの方の状況にたずさわってきたが、最初から生活保護を目指していた人は、皆無である。

多くの方が、生活保護自体を、心の中で否定していた立場にある。

つまり、生活保護を嫌っている。

しかし、残念ながら、失職、離婚、病気、親との関係が途絶える等、多様な要因が不幸にして生まれ、想定外の事態に陥る。

ある方は、就職活動(アルバイトも含む)等で、何とか乗り切ろうとするが、残念ながらうまくいかない。借金で一時的対応を図るも長続きはしない。

「こんなはずでは・・・」と思っていたのが、最悪の現実になる。

そして、自分が積極的に否定した生活保護が、現実味をおびてくる。

それでも、何とかならないかと模索するが、何ともならない。

 

そして、結局生活保護を受けざるを得ない立場になった時、そしてそれを受けた時、心の中では、コペルニクス的転換となる。

つまり、自分が否定していた、嫌っていたものに、一線を越えて、ジャンプして、否定していた世界に入ったということである。

あってはならない状態に、この自分がなってしまった心の衝撃、落胆は実は大きい。

 

従って、どうしても心に鬱屈したものが残る。お天道様のもとで、正々堂々と歩けない。

生活保護を、受けるのも、実は大変なのだ。

 

この事を、私達は、忘れてはいけないと思う。

英語で、UNFORTUNATELYというが、不幸にして、そのような状況には、誰でも陥る。

生活保護を事例に語ってきたが、不幸にして貧困、病気、障がい等の状況になった方へ、幸いにして、そのような状況にならなかった立場の人は、フォローする立場に立ちたいものだ。

 

申命記15:11

貧しい者が国のうちから絶えることはないであろうから、私はあなたに命じて言う。「国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」

 

もし良かったら、一日一回、感謝です。


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