会社を辞める決断は、まだ、五十二歳の時である。

そしてもう働く気持ちがなかった。

通常は、「それだけは、やめてもらいたい。」と普通の妻は言うと思われる。

子供たちは成人し、すでに二人きりの生活となっていたが、十三年間何とかなるといった保証はなく、十三年を乗り切れたとしても当然のことながら、豊かでゆとりのある老後は、期待できない。

しかも、今辞めると年金額もかなり減ってくる。

妻もよく同意してくれた。

自分で選択したことだし、これからは、自分の力で乗り越えようと覚悟をきめたわけだが、運命としか言いようがなく、また、それを促すエネルギーを感じ始めていた。

 

クリスチャンになってから、ある牧師から聞いたことだが、神は人生をじわりじわりと変えていく場合と、強制的に変えていく場合があるという。

今から思うと、この時はまさに強制的に変えられた事例だと思う。

ちょっとしたことでは、会社を辞めるという決断をしないため、神は私の周辺環境を大きく変え、そうなるように荒療治をする。

して、神は私に、会社を辞める思いを与える。

その大きな転換期に、精神的につらい思いもしたが、神は、私にとって耐えられない試練は与えない。

そして、神は、私に関するご計画を予定通り、実行される。神にとって、不可能なことは何もない。そんなこととは露とも知らない私は、会社を辞めることを決断し、ともかくも生活していくことに、英知をかたむける。

「どのように人間は生きるべきか。」は、とても重要なことだが、「どうやって、生活していくか。」も同様に大切なことであり、理念だけでは生きていけない。

つまり、暮らしていかなければならない。

とにかく、自由は確保した。さあ、サバイバルの始まりだ。

明日に続きます。

もし良かったら、一日一回、感謝です。

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