イエスは、神かもしれないと考え始める。

 

聖書の中で、イエスは自分の唯一性についても述べられている。

私以外の方法で、真理にいたる方法を認めていない。神にいたる正しいルートでは、それ以外はないと断言している。宗教を富士山登山にたとえて、頂上(真理)に至る道は、様々あるということがある。

いろいろな宗教があり、違う道をそれぞれ教えているが、結果的に同じ頂上に至るという教えだ。私もそのように考えていた。しかし、イエスのことばは、このことを否定しており、私以外の方法はないと言っている。

真理について、違う方法で真剣に学んでいる人にとっては、相当の違和感を覚えるかも知れない。日本人の多くの方は、移り変わる自然から洞察したり、相対的なもののとらえ方に慣れており、このような絶対的な見方に疑問を抱くし、不快感さえ抱くかもしれない。

私達は、人間の頭脳から生み出した哲理や思想に慣れ親しんでおり、それを自然で客観的でもあり、正当なものと理解している。

 

しかし考えるべきとても重要なことは、イエスが、本当の神かもしれないということだ。しかも、この神は、積極的に私達に発信し、働きかけ、伝えようとしている、そういう存在として聖書には書かれている。もしも、全ての創造主で、全知全能の神であるならば、私達の考え方になじむか、なじまないかの問題ではなく、神のことばに真摯に耳を傾ける必要がある。その事を、聖書を通じて、真剣に謙虚に見極める必要がある。

 

もし良かったら、クリックしていただくと、とても励みになり感謝です。


にほんブログ村 ←