(前日のブログの続き)

最大の興味と関心は、聖書は本当に神から発せられたものなのか、また聖書の核心部分で、大前提となっている、イエス・キリストは、はたして本当に神なのか、そうでないのかというところに、ポイントが絞られてくる。つまり、聖書を、そして何よりもイエス・キリストを信じるか、信じないかだ。

まずは、聖書が、イエス・キリストについて、どう語っているか、整理してみる。

 

  1. イエスは、神であると自分でも言っている。

     

先にふれたように、聖書では、イエスは、神としている。聖書を読み始めてすぐに気がつくことがある。キリスト教、仏教、イスラム教を、世界三大宗教というが、キリスト教だけが、前提が大きく違うということである。

それは、創始者が、人間であるか神であるかの違いである。釈迦やマホメットは人間であり、キリストは神であるということだ。本当に神であるかどうかは別にしても、少なくとも自らを神とみなしている。これは決定的な違いであり、一方、釈迦やマホメットは、自らを神とは言っていなく、従って、また周りの人達も、彼らを神とは考えていない。

後世の人間で、神格化する人達はいただろうが、少なくとも本人は決してそのようなことを言っていない。私は、仏教思想を哲学として評価しており、一つの人智の到達点と考えている。また、マホメットは自他共に、預言者として位置づけられている。

 

しかし、イエスは、自らを神の子と明言し、自身を神と等しいものとしている。そこが、釈迦やマホメットとは、全く違うところである。神にしか当てはまらない表現を、幾度も自らに当てはめている。

マタイ14:6

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

ルカ2270

彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と言われた

ヨヘネ8:23

 彼らに言われた、「あなた達は下から出た者であるが、わたしは上から出た者である。あなた達は(罪の)この世から出た者であるが、わたしはこの世から出た者ではない。

ヨハネ5:39

あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

マタイ28:18

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」

自分について、このようにまでいえるのは、神以外にいるだろうか。イエスが神の子である場合、意味をなすが、そうでなければ、狂人、つまり、正常な感覚がない誇大妄想狂の人と見なさざるを得ないだろう。つまり彼は、神か狂人か、という選択肢になる。彼は、偉大な教師ではあるが、単なる偉人、道理を説く人に限定してとらえた場合、実は、全くの的外れになる。

このことは、当時のユダヤ人にとっても大いなる疑問であり、特に宗教者にとっては、「わたしと父とは一つです。」と語り、人間でありながら自らを神とするイエスを、神を冒涜するものとして石打ちにしようとする。そして、最終的に十字架にかける。

 

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