聖書に書かれているように、神がいつも私とともにおられ、私の味方であるという確信は、いろいろな人生の苦難が襲ってきても私に何よりも平安と力を与えてくれている。そして、たとえ肉体の死が訪れたとしても、その後の永遠の命が与えられているという確かな希望がある。

クリスチャンでない方は、それは信仰上の問題であり、自分にはよくわからないと考えていると思う。非現実的と思われるかもしれない。私は、ノンクリスチャンの期間が長いので、そのお気持ちがよくわかる。

また、私は、物事を簡単には信じないという点では、人後に落ちない人間である。いわゆる懐疑主義者であった。若い時は、「神は死んだ。」といったニーチェの信奉者であったこともある。そんな五十六歳の大人が、どうしてクリスチャンになったのか、その理由とプロセスに、興味を持って一読いただければ、大変うれしい。

 

本当の神であるイエス・キリストを信じるだけで、大きな恵みが与えられる。観念的な世界の話と思われるかもしれないが、それは、自分にとって、とてもリアルではっきりしており、例えて言うと、万有引力の法則と同様、あるいはそれ以上の確信が伴っている。

しかし、この実感は、なってみなければわからなく、また、徐々に強まってくるものであり、クリスチャンになる前は、想像できなかった。まったくの想定外である。

一方、その恵みを受ける私は、クリスチャンとしての使命感・責任感のようなものが生じてくる。この感覚は、義務感とか恵みの対価・条件としての意味合いはなく、強いられたものでもない。

神様は、人間に自由意思を与えたので、強制されることではない。つまり、これを与えるからこれをせよ、といった内容のものではなく、使命感・責任感は、不思議なことに、心に自発的に生れてくる。じつは、この文書を書いている理由もそれであり、神の証人になりたいという気持ちが生じ、それを神から促されていると感じるからである。つまり、結局のところ、全ては神から発せられているようだ。その事も、追って説明して行きたい。

 

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