昨晩夢を見ました。





四男が電車通学をしている夢で(四男は地元の小学校なので本当は電車通学していません)、学校が終わって家に帰るのになぜか私が駅まで付き添っていました。





駅に入る直前に雪が降ってきて、「けいちゃん雪と写真撮ってあげる!」と言って写真を撮ったり、笑顔で話していて、本当はここで見送る予定だったけど中のホームまで私も着いていく事にしました。






ホームに着いて四男と私は反対方向の電車に乗ることになっており、笑顔で振り返りながら反対方向の電車に向かっていく四男を見て、私は夢の中で






「何で離れて暮らさないかんの?!家族なのに!」






と四男に向かって大声で悲痛な叫びを上げていました。泣き出したい気持ちになってそのまま目が覚めました。






昨日まで福岡に帰省していたのですが、関西に戻ってきて三男が「何で福岡で暮らせんの?従兄弟とずっと遊びたいし福岡が良かった。」と言いました。同じ質問は長男から順番に小学生の頃言われ続けてきました。






夫が亡くなった時に両親や妹達から、家を売って福岡に戻ってこいと何度も説得されたのですが、夫が亡くなってすべてが変わってしまうのが怖かったこと、家を売るのは心が痛むこと、誰に遠慮もなく自由に過ごせることなどの理由からそれまで通り関西で暮らすことにしました。





関西にいたのは夫の仕事のためだったので、関西にいる理由自体は本当は無かったのです。





毎年2度ほど福岡に帰省しているのですが、相当な距離を移動しながら、「関西の自宅から福岡の実家までどれだけの土地や家を通り過ぎるのだろう。知らない人の家はこんなに通り過ぎるのに、目的の家はまだ遠いなんて…」と毎回思いますし、長男は小学生の頃、従兄弟たちとさよならする時に必ず泣いていたので、私の気持ちだけで子供達を引き離して、関西で暮らさせるのはいいことなのだろうか…と考え込んだりしていました。






都会でなくても、お仕事がいっぱいあるわけじゃなくても、家族や親族とスープの冷めない距離で暮らすのが人間は幸せなんじゃないか…と。






その答えはまだ出ていません。






YouTubeなどでイタリアの日常を見るのが好きなのですが、毎日のように親族で集まって楽しく食事をしているのを見ると、幸せって何だろうと思います。





賢く育つように、もっと高く翔べるように、世の中で世界で活躍できるように…と理想と信念を持って子育てをしてきましたが、それで全国に世界に羽ばたいて離れ離れになった家族は幸せなのだろうか…と。スープの冷めない距離で暮らし、毎日大勢で笑い合っている方が人間は幸せなのではないか…と。





今日は昨晩見たその夢を一日ずっと引きずっていて、最強王のアニメを見る時に、ダイニングチェアにいる私の膝に座ってきた四男を、後ろからずっと抱きしめていました。背中に頬を当てたまま、「けいちゃん将来どこに住むん…」と聞きました。四男はアニメを見ながら、「えー?おおさかー」と明るい声で答えました。





「ママの隣に住んで…」と言うと、「いいよー」とまた明るく答えました。本気で言った事ではないにしろ、そんな事を言って子供の将来の選択肢を狭めたり、生き方を自分で自由に決めるのを邪魔したりしてはいけない事を分かっていながら…






背中に頬を付けたまま涙が流れたことは、四男は気付きませんでした。






このままでは将来子供に依存してしまう…と思いました。家を一人出て、二人出て…、最後に私ひとりになった時に、私は寂しさに耐えられるのか…と。






今回福岡に帰省した時に、「全員家を出たら寂しいよ」と母に言われました。誰か恋人がいた方がいいと。お化粧品を買う時に世間話の多い年配の店員さんだったりすると、話の流れでシングルという身の上をさらっと話してしまう事があるのですが、そういう時にも、「私の身の回りにも早くに夫を亡くした方がいてね。やっぱり恋はした方がいい。恋人はいないとだめよ。寂しいよ。」と言われたりしました。





私もずっと一人だと寂しさから将来子供に依存してしまうのではないか…と今日の夢を通して感じました。心から信頼し合える、素の自分をさらけ出せる、何でも話せる、頑張らずにいられるたった一人の恋人がいれば、きっと子供に依存することなく良好な関係でいられるかな…と。





人は一人では生きられないとずっと感じています。一人で生きているように見える人でも、恋人に限らずとも実際は素の自分をさらけ出せる関係の人がいると思っています。






私は両親や妹達の前では本当の自分を出すことができません。こんな風に思われたかな?と過剰に気にしてしまったり、テキパキと何でも早くこなす母や妹達と違って私はのんびり屋で呑気なので、それをずっと責められたり陰で言われたりしているのを知っており、また自分のペースでいると何か言われるのではないかと気を張ってしまいます(普段は関係は良好で仲は良いですが、たまにそういう事があります)。






のんびり屋でも、どんな私でも受け入れて、お互いに素の自分のままでいられる人がいたらいいなと思います。信頼し合って何でも話せる人が、ずっと生きてそばにいてくれたら…






ただ自分と自分の人生を信頼している楽観的な気持ちがあり、きっといつかそういう人と出会えると根拠なく思っています(笑)誠実に、正しく、前を向いて生きていれば、きっとすべてはいい方向に向かう…と。





子供に依存して、子供が人生を決める時に私の事を気にしたり考えるようではいけない。子供が自分でした決断を後ろから見守る親でいるためにも、私は自分と人生を歩んでくれる人が必要だなと改めて考えるきっかけになりました。











お手洗いに行っている私を、お店の景色を眺めながら待つ人たち


(小2、年中、2歳、1歳)







「あ、ママ帰ってきた!」







「ママ〜!」







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