夫が亡くなる数日前、いつものように子供達を寝かせた後、リビングのこたつで夫は勉強、私はその隣で確か当時開催されていたソチオリンピックを見ていました。





何の話からそうなったのか覚えていませんが、その日夫が私に説教を始めました。夫は私と同じ学年で(私は早生まれなので夫は1979年生まれですが)、普段そんな説教のようなことはあまりされたことはありませんでした。





どちらかと言うと私がわがままを言っても、夫が☺️こんな顔で合わせるという感じで、家を建てることになった時も夫が、「◯◯(私)に怒られたときに隠れられる屋根裏部屋が欲しい☺️」と言い、「…あんだって?🧟‍♀️💢」と私が言う感じでした(屋根裏部屋は予算的に結局作らず、夫の部屋を作りました)。





夫が「アメリカに住んでみたい」という夢からアメリカ勤務を希望し、会社に自己推薦の論文を出す時にも私に、「論文書けたから読んでみて。悪いところあったら添削して。」と言ってきたので一通り読んで、「もっと気持ちを抑えた文章にした方がいいかも。自分の行きたい気持ちじゃなくて、自分がアメリカに行ったら会社にどれだけの貢献ができるか、自分の研究の得意分野の強みを感情を抑えて淡々と書いた方がいい。」と言うと、夫はその論文を言った通りに全部書き直して提出し、結局他の社員を抑えて夫がアメリカ勤務に選ばれました。






夫の研究分野のことを何も知らない、専業主婦の私に論文の添削をさせるくらいなので、夫には信頼されていたのかな…と今になって思います。私のことを「影のブレーン」と言っていました(笑)






そんな夫が珍しく改まったように私に説教を始めたので、視線を下に落としつつ素直に聞いていました。夫は、「人と違うことを1日10分でも続けなさい。そうすれば人と全く違う人になれるから。人と同じことをしても仕方ない。1日10分でも毎日続ければ大きな力になるから。」という事を話していました。






長い時間話していましたが、話し終わったあとに、「話せて良かった。これを◯◯(私)に話しておきたかった。」と言ったので、「まるで最後みたいな言い方…」と心の中で思ったのですが、数日後に夫は亡くなり本当に遺言になってしまいました。儚さ…とは違うのかもしれませんが、何か予感めいたものを夫も私も感じていたのかもしれません。人は自分で人生の長さを決めて生まれてくるというのを私は信じています。






夫は34歳の若さで旅立ちましたが、普通の人生の長さをぎゅぎゅっと凝縮したような沢山の経験をしていました。大学院に進み、アメリカやイタリアでの学会に研究発表をしに行き、結婚もし、シンガポールやアメリカにも住みました。若かったけど感受性が豊かで、自然を愛し、油絵を描いていました。人生を何周かしたような、もう人生を終えるような落ち着きがありました。






死は悲しいことでしたが、人生を精一杯生きたと思います。人生は長さではなく太さであるな、と思います。悔いのないように毎日を自分の思う通りに生きることが大切ですね。















2014年10月

伊丹空港のスカイパークへ。高所恐怖症の私は1歳の三男を抱いて滑り台をすべることができずに、代わりに長男が抱いてすべってくれました。






長男も笑顔だね😊


でも長男が他の場所に遊びに行ったあと、三男が指をくわえてお父さんとすべる子供達を羨ましそうに見ていたので、このままではいけないと他のお父さん方に混じって私も抱いてすべりました。


怖くて最初「きゃー!!」と声を出してしまったけど思ってたより大丈夫で、その後何度もすべることができました。三男くんいっぱい滑り台できて楽しそうでした🍀





2014年11月

猪名川町に遊びに行きました。道の駅のパン屋さんで買ったパンをベンチで食べています。ここのパン屋さんは本当に焼きたてが出てくるので、アップルパイが激熱で上顎を火傷しました🥲でもそれくらいの焼きたて嬉しいね

四男はまだミルクボーイなので食べられません。









長男と三男

「おいしいね、にいちゃ。」







川沿いをお散歩。まだ小さくて、こんなことでも楽しめた時代だね







言うこと聞かずに走り出そうとする三男









いなぼうと一緒に✨

四男、いなぼう大きいね(笑)







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