私は2歳から12歳まで島根県の海辺の田舎の市に住んでいました。人が故郷と認識するのは10歳くらいの時に住んでいた場所と聞いたことがあって、私にとっても中学校•高校時代を過ごした福岡よりも島根の方が故郷な感じがします。
今回17年ぶりに故郷の島根に行ってきました。17年前に行ったのはおじいちゃんのお葬式の時で、関西からは高速で5、6時間で行けるのですが、そのあとすぐに長男が生まれ、ずっと小さい子供がいたので5、6時間も車に乗せることが難しく一度も行けていませんでした。
子供達が大きくなってきたのでおじいちゃんおばあちゃんのお墓参りや懐かしい場所を巡るために17年ぶりに島根に行ってきました。福岡からは二番目の妹ファミリーと三番目の妹ファミリーと母が来て島根で落ち合いました。
おじいちゃん、おばあちゃんの家があった海辺の高台へ。小学生の頃は母と妹達と毎週末ここに遊びに来ていとこ達と遊んでいました。田舎で車もほとんど来ないので外で遊び放題で、夏はここの人しか知られていない小道を降り、線路をまたいで、下の砂浜へ。ほとんど誰も来ず、プライベートビーチのようでした。子供時代の楽しかった思い出はすべてこのおじいちゃんおばあちゃんの住む高台にありました。
写真の場所でよくみんなで海や夕陽を眺めていました。天気が良かったら本当はもっともっともっと綺麗な場所で絶景です。
「ママはこの道をずーっと走って、空き地まで行って遊んでたよ」と教えると同じように走る子供達(笑)子供達がここにいるのが不思議な気持ちです。
私は元気で活発な子供で、奥に見える丘によく登ったりバッタを捕まえたりしていました。昔はもっと高く斜面も急な短い草だけの丘で、途中振り返ると登ってきた高さに胸がヒューっとなっていました。今は低くなって木がいっぱいになっていました。
母方のおじいちゃんおばあちゃんのお墓参り。初めて来ることができました。おばあちゃんは数年前に亡くなっており、母のいる福岡に移住してきていたので子供達も会ったことがあります。
おじいちゃんおばあちゃんは両親よりも優しく一番好きでした。初孫の私を本当に可愛がってくれました。おじいちゃんおばあちゃんの家の近くに建てたお墓。海が見えとてもいい場所でした。
お墓でおじいちゃんに長男から四男まで紹介しました。おじいちゃんは「みいの子供を見たらもう死んでもいい。」といつも言っていたのに長男がお腹にいる時に亡くなってしまい、今回初めて紹介することができました。きっといつも天から見てて知ってると思うけどね(笑)
優しかったおじいちゃんおばあちゃん、子供のころの楽しかった思い出、おじいちゃんおばあちゃんお母さん妹達いとこ達みんなで過ごした日々、色々と思い出して、この地でまだおじいちゃんおばあちゃんがいてくれてる事とか、でもお墓に入ってしまっている事とか色々な事を考えて手を合わせながら号泣してしまいました。子供達は私が号泣してるのにびっくりしてシーンと無言になっていました。
帰る時、泣いたのがちょっと照れ臭くて、「私のー、お墓のまーえで、泣かないでくださいー」と大きな声で歌いながら帰りました(笑)
2歳から幼稚園卒園するまで住んでいた場所に寄りました。何もない田舎です。
アパートの横のこの道を幼児の頃足こぎ車でずーっと一人で行っていました。この景色は自分の幼児期を象徴するものです。前に見えるトンネルの上は電車が通ります。横の田んぼではオタマジャクシをとっていました。
このトンネルの向こうには不思議な世界が広がっている想像をしていました。
午後は水族館へ。シロイルカが見られる珍しい水族館です。
優しい顔で可愛い💞
がんばってふーふーして丸い輪っかを作って見せてくれました。
上手だね!💕
まんまる
久しぶりの水族館癒されました
コブダイがずっとペアで泳いでいました。羨ましいです。
え?
え?
妹達ファミリーと母と旅館の夕食。一人写ってないけど総勢16名です。父は家が大好きなので島根に着いてきませんでした(笑)
子供が夜に体調を崩した時とか車を出せなくなると困るので私は大晦日くらいしかお酒を飲まないのですが、旅行なので遠慮なく飲みました。美味しかった💓
赤矢印が私です(笑)
あまりにお腹がいっぱいでお酒も入ってたのでお風呂はまだ無理と客室で横になっていたらそのまま寝てしまい、夜遅くお風呂になりました💦