夫を亡くしたばかりの頃は朝が一番苦痛でした。毎日毎日夫が夢に出てきていたので夜に眠れなくなる事はなく、逆に早く寝て会いたいと思っていました。





でも朝になると昨日の続きを思い出して、「そういえば亡くなったんだ…」と現実に引き戻されます。朝になる度に、この世界が心底嫌になったと思いました。この世界ってこんな信じられない事が本当に起きるんだ…と。






こんな話は子供達にはできないし、将来このブログを子供達が見た時に傷付けてしまうかもしれないので後日修正するかもしれませんが、もう私も自らの命を絶ってしまおうかなと何度も思いました。でも子供達がいるから死ぬわけにはいかないと、その度に思いとどまってきました。でも本当に追い詰められると周りの事が何も考えられなくなり、何かのきっかけで突発的に…という事は私も十分に考えられた事です。ひとつ何かを間違えれば、私もそうなっていた可能性は十分にあります。







今は立ち直りこの暮らしにも慣れ、普通の幸せを感じていますが、時折ニュースで流れる母子心中の事件を見るたびに、私にできることは何か無かったかと思います。「最初はすごく大変だったけど、子供が色んな世界を見せてくれるよ、大丈夫だよ」と、その頃から少し将来に行った私が伝える事で、もしかしたら命を救う事ができたかもしれない…と。







今私は何のために生きているのかと問われたら、私がいなくなったら悲しむ人達、つまり子供達と大切な人のために生きています。私が例えどんな姿になっても、お世話もできなくなっても、横たわって生きているだけでも心が救われる人達のために生きています。







病院に勤めていた頃に毎日高齢の母親の面会に来る高齢の息子さんがいました。事務職ではないのでうろ覚えですが月に一回ほど確か入院の入金に家族がくる日があり、ほとんどの方はお嫁さんか娘さんが入金に来て、入院されている高齢者の顔も見ずに帰ってしまうので、毎日母親に会いにくる高齢の息子さんは珍しかったです。






母は寝たきりの状態でしたが、息子さんはずっと話しかけ、一日中そばにいました。母は何も話せない、認知症も進んでいる状態でしたが、息子さんは毎日嬉しそうに笑顔で母に話しかけていました。何もできなくても、ただ存在するだけで喜んでくれる人がいる。幼い子供も母親にそういう愛情を向けてくれますね。







ちゃんと育てようと思うと悩みも大きくなりますが、ただ存在するだけでも子供の心に大きな安らぎを与えていると思うと少し気が楽になりますね。子育ての悩みの部分に関して色々と書いたのですがあまりにも長文になってしまったので、また後日別の記事にします。







子供の心配事が起きると他の事は全く考えられなくなりますが、それは子供以外の事が大切でないということではなく、心配事が起きたとたんに「母」にカチッと切り替わり、安心するとまた「自分」に戻る。母性本能なのだと思います。子育ては悩むことも多いですが、子供が見せてくれる景色や結んでくれる繋がりが成長とともに広がって行きますね。







自分がただ存在するだけで安らいでくれる人達のために、与えられた人生の長さを精一杯生きていきたいですね。












2014年、美術館に行った時の写真です。人の少ない時間帯を見て美術館にも行っていました。この日はビネッテ•シュレーダーの展覧会でした。







にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 子育てブログ 男の子育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 子育てブログ 死別シングル育児へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ