今年も仮面舞踏会を楽しみました。
今年は、
もうひとつのミッションがある。
これをやると決めている。
これはパリでしか出来ないこと。
【アントワネット様を偲ぶロード】
アントワネット様ギロチンの日、
彼女は何を見ていたのか
1789年7月14日
フランス革命が勃発
なんやかんやありまして、
1793年にセーヌ川沿いのコンシェルジュリの独房に入れられた2か月半後の
1793年10月16日
ようやく外へ出る。
すなわち、ギロチン台へ行く日。
38歳
こちらがコンシェルジュリ
2014年6月 初パリで初訪問
この時はまだアントワネット様の独房がありまして、私は見ました。
薄暗く、換気も満足でない、湿気のある、冷え冷えとした独房で。
こんなところで
2014年に訪れた時は独房の中のアントワネット様の蝋人形を写真に撮ることが出来ましたが、暗すぎて。。。私が撮影したアントワネット様の部屋と蝋人形がこちらですが、暗すぎてさっぱり分かりませんよね。
ネットからお借りした写真がこちら
しかし、実際はこんなに明るくはありません。
これは撮影用にライトを点けてますね。
そして、この角度ではありません。
実際に私たちが見れたのは、この角度からです。
アントワネット様の寂しい後ろ姿を見ました。
暖房も無く、湿気のこもった、
前の囚人らが汚しに汚しまくったであろうシミがこびりついた汚い部屋で、たったひとり、後ろ向きに座っている
独房と言えども常に複数の見張り(見張りも蝋人形)に見られながら処刑の日までを生きる。
現在、その部屋はリニューアルされ、明るいビデオルームになっています。
あの悲しいアントワネット様の蝋人形はいまどこに?
いろいろな資料を読むと、
ギロチンの日、正門ではなく、裏口から出された、と書いてあります。
アントワネット様の最期の姿をこの時計は見ていたのか。
フランス革命よりもずっと前から止まることなく現在も時を刻む、コンシェルジュリの大時計
もう戻って来ない囚人が裏口から出たのなら、この時計はその姿を見ていなかったのかもしれないですね。
アントワネット様はここから処刑台のあるギロチン広場(現コンコルド広場)まで、荷車で移動しました。
粗末な荷車に進行方向を向いて座る、でなく後ろ向きに、つまりギロチン広場へ向かうアントワネット様の顔を一目見ようと集まってきた大勢の見物人らが見やすいように、後ろ向きに座らされました。
コンシェルジュリからギロチン広場まで、大通りサントノーレを通ってほぼ3キロ。
歩いても40分足らずの距離を、荷車は1時間45分かけて進みました。
見物人らに囚人をよく見せるように、時間をかけて、荷車はゆっくりとゆっくりと進みます。
ルイ16世も同様に、ここからギロチン広場まで移送されましたが、正式な馬車で、手縄もかけられず、威厳を持ちながら移送されたとのこと。
威厳を持ったまま処刑されることを許されたルイ16世に対してアントワネット様は、馬車ではなく粗末な木製の荷車に後ろ向きで、後ろ手に縄。見物人らのツバや罵声を浴びながらの1時間45分、彼女が見た光景は?
私は同じ道を歩いてみます。
これは私のアイデアではありません。
すでに他の方がレポートしてくれています。
【1793年10月16日、処刑台に乗せられたマリー・アントワネット、荷馬車の旅】
Vicq d Azir 2018年10月15日月曜日、12時28分
ヴィック・ダジル氏の神レポートです。
クリックして、少し待ってください
少し待つと、このレポートが出てきます。
この画面が出てきたら、その先にある丁寧に検証された40枚ほどの写真とレポートをご覧ください。
フランス語ですので、是非Googleのカメラ翻訳をかざしながら見ていただきたいです。
このレポートは、アントワネット様が通った道を丁寧に記録してくれています。
このレポートどおりに歩いてみます。
レポートを、見やすいように翻訳を混ぜて、独自に編集して印刷しました。
そして、昔の地図も
Googleマップと照らし合わせながら、
さあ、歩きましょう。
これが今回の旅で、舞踏会の次に私がやりたかったことです。
Namiさんリンクをありがとう
続く