1ヵ月半ぶりに社宅の我が家に戻りました。


夫は私の荷物を降ろすと、急いで私の実家へ息子を迎えに行きました。
私はひとり安静に息子と夫の帰りを待ちます。


夫が休みの日は、息子は社宅の我が家で家族3人で暮らします。
しかし私は重たい息子の世話を出来ない「出産までは安静に」なので、夫が仕事の日は息子だけが実家へ戻る、という2重生活になりましたが、
2歳にもならない息子はホワンとしており、
あっちこっちを移動するたびに一瞬キョトンとするものの、
社宅の我が家に帰れば「ここ、おうち」
実家に戻れば「ここ、おうち」
2重生活を、泣くことなく、戸惑うことなく、
新しいオモチャに誤魔化され、おやつに誤魔化され、実家と我が家を機嫌良く行き来する2重生活は私の出産まで続きました。
息子を育ててくれた実家の両親と妹と、犬のチコちゃんに感謝しています。

 

 

2重生活で、家族総出で守られながら、
臨月でパンパンになったお腹の袋は二度と破れることは無く、
赤ちゃんは出産予定日まで無事に私のお腹の中に。

お世話になった病院で無事に産まれた赤ちゃんは
思ったとおり、念願の女の子!!2997グラム

----------------------------------------
出産し、入院中のある日、
ナースさんが
「あ、いたいた!sugitoさん、来て!来て!お願い!」

連れていかれた病室には、斜めになって泣いている女性が。

「この人を励ましてあげて!」
OK!!!!!!!

「こんにちは!!私はあなたと一緒だった。でもね、見て!私は無事に産んだわよ!あなたも大丈夫!きっと赤ちゃんに会えるわ!!」
「ありがとう!!!!頑張ります!!」
私の退院まで、私は彼女の部屋に顔を出しては、斜めの彼女を励ましました。





出産から1週間後、私は退院しました。

退院の日はバタバタで、斜めの彼女にお別れを言いに行くことをすっかり忘れてしまい、斜めの彼女の名前も、彼女がどうなったのかも知らないままが心残りでしたが、丈夫な赤ちゃんを産んだと思いたい(*^_^*)


-----------------------------------------------------------

このブログはこれがラストになります。
お読みくださり有難うございました。

疑問に思っているかたがいらっしゃるかも??、
人の能力を超えたウン技は、その後も使えたのでしょうか?


妊娠14週で破水し、
「この赤ちゃんは明日には死んでしまうよ」
と言われながらもあきらめず、

遂にはウンを念で操作する技を習得し、
無事、斜め生活からの生還。
普通の妊婦として大部屋の一員となり、
自分でトイレへ行けるようになったある夜、
深夜目覚めた私は、試してみました。
いつものように集中してみました。
イメージしてみました。
「ウンよ、出てちょうだい」

しかし、本気に欠けのある集中は、
命がけでないイメージは、
二度と私の大腸を動かすことはありませんでした。



身体は、強く念じれば、
いつでもミラクルを起こしてくれるワケではない。

しかし、本当の極限状態になると、
何かものすごいチカラが湧いてきて、
必ず私を助けてくれることを知っている私は、
あきらめそうになっている人にこう言います。


奇跡は、起こることがある。
あきらめないで!!


 

ボクが兄ちゃんだよ

 

 


壮絶で貴重な1ヶ月半を記録しておきたいと思いながら、
子育てに忙しく時は流れて、大脳皮質の片隅に30年間放置したままの、

古い記憶をここまで正確に思い出すことが出来たこと、
書き始めたきっかけがあり、
「早く!早く次を読ませて!」の応援を受けながら、
大きなパワーにグイグイ引っ張られながら、
一気に書き上げることが出来ました。

足りないものは無い、満足なこのブログが、
誰かを助けることになれば、
誰かを励ますことが出来れば幸いです。

 



書くきっかけをくれた甥っ子に、感謝しています。秋、赤ちゃんと会える日を楽しみにしていますよ!

Syo君&Ayumiちゃん(*^▽^*)