礼拝音声 (聖餐式の部分で音声がミュートされます)
「イエス・キリストは人となって来られた」
📖<ヨハネの手紙第一 4章1~6節>
📅2025年9月14日
はじめに
ヨハネは2章18節で反キリストの出現を警告し、「あなたがたを惑わそうとする者たち」として彼らを描いています。そして3章7節でも「だれにも惑わされてはなりません」と繰り返します。私たちがイエスの教えのうちにとどまるなら、神の御前で確信を持つことができます(3:21)。ここでヨハネは、反キリストを見分けるための具体的な原則を提示しています。この箇所から、彼が何を伝えようとしているのかを共に探っていきましょう。
本文
① 霊を見分けなければならない(1節)
霊的な教えの中には、もっともらしく聞こえるものが多く、人々を惑わすことが容易です。さらに今日では、偽りの霊的教えが世界に広く行き渡っています。だからこそ、私たちは常に注意を払い、警戒し続けなければなりません。
② 判断のカギ:「キリストが肉となって来られた」と認めるか?(2~3節)
ある教えに聖霊が働いているかどうかを見分けるためには、その教えが「イエス・キリストが肉となって来られた」と認めているかがカギとなります。ヨハネはここで、イエスの人間性を否定するグノーシス主義の教えに対処しています。グノーシス派は、肉体は罪深く悪であると考え、キリストが肉体をもって来られることを否定しました。
では、なぜイエス・キリストの受肉(肉となって来られたこと)がそれほど重要なのでしょうか?その理由をいくつか挙げます:
-
旧約のメシア預言を成就するため(イザヤ9:6-7)
-
罪の赦しには血が流されることが必要であるため(レビ17:11、ヘブル9:22)
-
永遠の大祭司として、人間の経験を完全に共有する必要があったため(ピリピ2:6–8、ヘブル4:15)
-
復活によって命に対する神の権威を示すため(ヨハネ10:17–18)
-
キリストを信じる者たちが復活することを証しするため(Ⅰコリント15:20–23、ローマ6:5)
※ グノーシスの偽りの霊は、イエスが「完全な神であり、完全な人間である」という福音の核心を損ないます。
③ 神から出た者は、反キリストの霊に打ち勝っている(4節)
クリスチャンには神の霊、すなわち聖霊が内におられます。そのゆえに、私たちはすでに反キリストの霊に打ち勝っているのです。神の霊はどんな他の霊にも勝ります。これは大きな励ましです!私たちは聖霊の宮であり、すでに勝利を得た者として生きているのです(Ⅰコリント6:19)。その勝利は、神との親しい関係に根ざしています。だからこそ、キリストにある自分のアイデンティティにしっかりと立つべきなのです。
④ 神から出た者と世から出た者の違い(5~6節)
この箇所(4:5–6)は、神に属する者と世に属する者の違いをはっきりと示しています。神の御言葉を聞き、イエス・キリストが肉となって来られたことを認める者は、神から出た者です。一方で、世に属する者はキリストを拒み、その受肉を否定します。世とは、神と神の民に敵対する堕落した領域であり、反キリストの霊もこの世に属しています。したがって、使徒的教えへの応答が、霊的忠誠心の試金石となるのです。
まとめ
① 今日も霊の見分けが必要
現代においても、「イエスを否定する霊」や偽りの教えは存在しています。見た目が良さそうだからといって、それが真理とは限りません。だからこそ、ヨハネは「霊を見分けなさい」と強く勧めています。彼の時代にはグノーシスが大きな問題であり、「キリストが肉となって来られたかどうか」が信仰のテストでした。
② キリストにある私たちのアイデンティティがカギ
偽りに打ち勝つ力は、私たち自身の努力ではなく、私たちの内におられる神の力にあります(4節)。これがクリスチャンの確信と希望の源です。また、イエス・キリストがどのような犠牲を払って信じる者を救いに導かれたのかをはっきり認識しましょう。私たちは神から生まれ、神に属する者であるという真理にしっかりと立ちましょう。
③ 聴く耳を持ち続ける
世の声に流されず、神の御声に耳を傾けるためには、日々神の御言葉に根ざす必要があります(6節)。ヨハネの時代には、キリストの受肉を識別することが重要でした。現代の私たちも、キリスト論と救済論に関する聖書の真理を正しく理解しておく必要があります。神との歩みを大切にし、御霊の語りかけに応える「聴く耳」を養っていきましょう。