礼拝音声
聖書朗読:雅歌 5:2-8
説教題:神様と私
はじめに
「雅歌」は、一見すると恋愛の詩を集めた本のように見えます。しかし、ユダヤ教では、聖書の中でも特に聖なる書物の一つと考えられてきました。そして、「神とイスラエルの愛」を表すたとえとして読まれてきました。
この読み方では、王は神、女性はイスラエル、見張り人は預言者などの理解をしています。
5章6~7節などには、単なる恋愛の詩として読むと理解しにくい部分があります。しかし、それらは、神とイスラエルの間にあった苦しい関係を表していると考えることができます。
今日は、雅歌から、私たちと神との関係について何を学ぶことができるのかを考えてみましょう。
1.最初の出会い――神がイスラエルを選ばれたこと(1:2~2:7)
雅歌の最初の部分は、神がイスラエルの民をエジプトから連れ出し、ご自分の民として選ばれたことを表していると考えることができます。
シナイ山で、神はイスラエルと契約を結ばれました。それは、結婚の契約にも似た、とても親しい関係を結ぶものでした。
そのため、「王は私をその部屋に連れて行かれた」(1:4)という言葉は、神とイスラエルとの親しい関係が始まったことを表していると考えられます。
私たちの信仰も、神との出会いから始まります。私たちはイエスを受け入れたとき、イエスとの契約の関係に入りました。
ですから、私たちは神と初めて出会ったときの喜びを思い出し、感謝をもって神を礼拝したいと思います。
2.神が見えなく感じるときも、神を探し続ける(2:8~5:1)
イスラエルは、神に守られていることを喜んでいました。2章16節には、そのような確信が表されています。
しかし、イスラエルが神を見失ったように感じる時もありました。
3章1~4節では、女性が何度も「あの方は見あたりませんでした」と言っています。それでも、彼女は愛する人を探し続け、ついに見つけます。
私たちも、ときどき神が遠くにおられるように感じることがあります。
苦しい時でも、神の愛を信じ、神が答えてくださると信頼して、神を探し続けることが大切です。
3.拒絶――間違った優先順位と苦しみ(5:2~5:8)
ここでは、二人の関係に危機が訪れます。
イスラエルは神に選ばれ、愛されていました。しかし、次第に自分たちの利益や自分たちのことを優先するようになり、神を拒むようになりました。
5章4節では、女性はためらっています。一方、愛する人は彼女に手を伸ばしています。
これは、神がイスラエルを神のもとに戻そうとして送られた預言者たちを思い起こさせます。
しかし、イスラエルは神から離れ続けました。
5章6~7節では、女性が見張り人たちに傷つけられ、恥をかかされています。これは、イスラエルが神のさばきによって苦しみ、国が滅ぼされ、外国へ連れて行かれたことを表していると考えることができます。
私たちも、神よりも大切なものを人生の中に置いてしまうことがあります。
パウロはガラテヤ6章7~8節で、「人は、自分が蒔いたものを刈り取る」と教えています。
ですから、私たちは自分の生活をよく振り返る必要があります。
4.悔い改め――神がどのようなお方かをもう一度知る(5:9~6:3)
5章9節で、エルサレムの娘たちは、「あなたの愛する方は、ほかの人より何が優れているのですか」と尋ねます。
すると女性は、5章10~16節で、その方がどんな方なのかを詳しく語ります。
彼女は、自分が愛している方がどのような人なのかを、もう一度思い出しているのです。
イスラエルも神を見失っていました。しかし、苦しみを経験する中で、自分たちが誰を愛しているのかをもう一度知りました。そして、神が決して自分たちを愛することをやめていなかったことにも気づきました。
6章1節では、「あなたの愛する方はどこへ行いかれたのでしょう」と尋ねられます。
女性は、「私は愛する方のもの、私の愛する方は私のもの」(6:3)と答えます。
これは、悔い改めを表していると考えることができます。
イスラエルは、神が再び自分たちの近くにおられることに気づいたのです。
エズラとネヘミヤの時代にも、人々は悔い改めて集まり、律法と聖書に立ち返りました。
神は今も、ご自分の民を神のもとへ戻るように呼び続けておられます。
5.再会――契約の関係が回復する(6:13~8:14)
6章13節の「帰れ。帰れ。」という言葉は、預言者や周囲の者たちがイスラエルに「神のもとへ戻りなさい」と呼びかけたことを表していると考えることができます。
その後、女性は讃えられます。これは、イスラエルの霊的な生活が回復したことを表しています。
10節では、イスラエルが「私は愛する方のものです」と答えます。
神との関係が回復したのです。
7章11節などは、エデンの園で人間が神とともに歩いていた、親しい関係を思い起こさせます。
そして雅歌は、次の言葉で頂点に達します。「愛は死のように強い」(8:6)という表現がされています。
そして最後は、「私の愛する方よ。急いで(来て)ください、」(8:14)という、愛する人を待ち望む言葉で終わります。
結論
雅歌は、理解するのが難しい本です。しかし、神とイスラエルとの関係、そして私たち自身の信仰の歩みという視点から読むと、大切な意味が見えてきます。
ここでは、三つのことを覚えておきたいと思います。
1.神は愛し続けてくださる
神がご自分を私たちに示してくださらなければ、私たちは神を知ることができません。
私たちが神と契約を結ぶとき、神の恵みが私たちに希望と永遠の命を与えてくださいます。
私たちが失敗しても、神は私たちを導き、愛を示し続けてくださいます。
私たちの人生の歩みは、いつも平和で順調とは限りません。
それでも、神の愛の御手が私たちとともにあることを信じて、安心して歩んでいくことができます。
2.神による救い――イエス・キリストの働き
ユダヤ教では、雅歌は伝統的に過越祭の時に読まれます。それは、イスラエルの民がエジプトから救い出されたことを表しています。
クリスチャンにとって、このことは、神の小羊であるイエス・キリストの十字架の上での贖いお業による私たちの救いを指し示しています。また、キリストの花嫁である教会との結びつきも表しています。
神が望んでおられるのは、私たちとの関係を回復し、私たちをご自分との交わりの中に入れることです。
この回復はすでに始まっています。しかし、それが完全に実現するのは、まだ先のことです。
3.神の救いが完全に実現する日
雅歌は、関係が回復したところで終わるのではありません。「急いで来てください」という呼びかけで終わります。
私たちと神との関係は、これで終わりではありません。私たちはこれからも神を待ち望み、神が来てくださることを願い続けます。
これは、パウロが1コリント16章22節で語っていること、そしてヨハネが黙示録22章20節で答えている、
「主イエスよ、来てください」という言葉にもつながっています。
雅歌は、出会い、神から離れ、悔い改め、そして回復する物語です。
それは、回復して満足しきっている、信仰の強い人の物語ではありません。渇いているとき、道に迷ったとき、傷ついているときにも、神から離れず、神にしがみつこうとする人のための物語です。
雅歌を通して、神が決して私たちを見捨てず、変わらず愛してくださることを思い出すことができますように。
そして、私たちの心がさらに神を求め、神を待ち望むものとなりますように。