説教音声
聖書箇所:1 ヨハネ 3:1-12
説教題:神の愛から生まれた者の特質
はじめに
1節は2章29節とつながっています。その続きとして、今回の箇所では「神から生まれた者たち」に焦点が当てられています。「神から生まれた」という表現、またはそれに類する言葉が6回登場します。ヨハネの思いをたどりながら、神とその愛から生まれた者の特徴を見ていきましょう。
本文
1節
この節は、原文では「見よ」という言葉で始まっています。これは、ヨハネが神の驚くべき愛に注目させようとしている表現です。父なる神は、私たちがご自身の子どもとなるために、イエスを十字架に送られました。ヨハネは、私たちが本当に神の子どもであると強調します。そして、私たちを知らない迫害者たちのことに言及します。彼らは神の愛と偉大さを知らないからです。
2節
この節は「愛する者たちよ」という言葉で始まります。私たちが神に愛されていること、そしてヨハネ自身にも愛されていることを思い出させてくれます。神のご計画の全貌は体験的にはまだ明らかにされていませんが、やがて御国が来るとき、私たちはキリストの栄光を映し出す者となることは知っています。それは、月が太陽の光を反射するようなものです。
3節
この希望があるからこそ、私たちは今の時代においても、自らを清め、神を喜ばせる生活を目指します。
4節
ヨハネは、罪の定義について語ります。ギリシャ的な「不完全さ」とは違い、聖書的な罪とは「律法に逆らうこと」、すなわち神の掟への明確な違反です。信者は、このような罪から自分を清めようとします。
5節
しかし、根本的なところでは、私たちの罪はすでにイエス・キリストによって取り除かれました。イエスご自身は罪のない方であり、だからこそ世の罪を取り除くことができるのです(ヨハネ1:29参照)。
6節
キリストにとどまる者は、罪を犯さない者と見なされます。これは、「全く罪を犯さない」という意味ではなく、イエスを弁護者(2:1参照)として持っているゆえに、赦された者として見なされるということです。また、平気で罪を犯し続ける者ではないことを表しています。
7節
ヨハネは、人々に罪の中にとどまるように誘導する偽教師たちに警告を発します。最も大いなる義の行いとは、イエスをメシアとして受け入れることです。それを信じた者は、神の目に義とされます。
8節
ここでは、偽教師やその追随者の特徴が語られます。罪の中にとどまる者は、悪魔の性質を持つ者であり、悪魔は世に罪が入り込んだ初めから神に逆らってきた存在です。つまり、持続的に罪を犯す者は、悪魔に属しているのです。イエスは悪魔のわざと支配を滅ぼすために来られました。キリストと結ばれた者は、キリストが打ち破られた罪の行いを続けることはできません。
9節
神から生まれた者は、最終的に神を否定したり拒んだりすることはありません。御言葉(ヘブル4:12参照)は、御霊によって信者のうちに植えつけられます。これが新しい命の源であり、聖化の力でもあります。信者のうちに罪は残りますが、それはもはや支配者ではありません。以前は罪に気づかず、自ら進んで従っていましたが、今はもはや罪の奴隷ではありません。
10節
神の子と悪魔の子を見分ける方法が明確に示されています。正しいことを行わず、兄弟姉妹を愛さない者は、神から出た者ではありません。これは、最後の晩餐でイエスが語られた「互いに愛し合いなさい」という命令を反映しています。愛を示さないならば、その人は本当の意味で神の子ではないのです。クリスチャンと称して教会に入り込んだ偽教師たちは、兄弟姉妹を見下していました。彼らは悪魔の子だったのです。
11節
この節は、「はじめから聞いていた教え」に言及しています。その語は、良い知らせを含意するものです。それは、初代教会に伝えられたイエス・キリストの福音であり、そこに「互いに愛し合う」という新しい命令が含まれていました。私たちはそれをイエスが命じたから守り、また神の愛を知っているから守ります。人間的には、好き嫌いがあるのは自然ですが、神のかたちに造られた者として、お互いをよく扱うことが求められています。神が私を深く愛しておられるように、私たちも自分自身を受け入れ、他人にも忍耐と寛容、愛をもって接することができます。
12節
ヨハネは、神の子とこの世(また偽教師たち)との違いをさらに強調します。世は私たちを知らない(1節参照)だけでなく、時には憎んだり迫害したりします。その例として、最初の兄弟殺しであるカインを挙げています。カインは悪い者に属しており、自分の兄弟を殺しました。これを示すことによって、ヨハネは迫害を受けたりする私たちが正しい者であることを確認して励ましているのです。
まとめ
1)神の愛から生まれた者は、イエスの善を映し出す
私たちは神に生まれ、イエス・キリストの犠牲によって救われました。神の子どもとして、永遠の栄光の希望を持ち、その希望が私たちを励まし、良い生き方へと導きます。
2)神の愛から生まれた者は、罪の中にとどまらない
神の種が私たちのうちにあるゆえに、絶えず自分を清めるように呼びかけられています。イエスは悪魔のわざを滅ぼすために来られ、私たちもその勝利によって正しく歩む力が与えられています。罪はもはや私たちを支配しません。
3)神の愛から生まれた者は、互いに愛し合う
互いへの愛は、神から生まれた者の明確なしるしです。それは使徒たちが語ったメッセージであり、イエスが与えた新しい戒めです。神の愛は、私たちに確信を与え、他の信者に対しても忍耐と寛容を持って接することを教えてくれます。私たちは神のかたちに造られ、神の愛によって贖われた者同士なのです。