礼拝音声

 

聖書箇所:2 コリント 1:3-11

説教題:神の慰めの連鎖

 

導入
この手紙の冒頭で、パウロは自分が経験した激しい迫害から守られたことに対する神への感謝を述べています(8〜9 節)。同時に、コリントの教会に対して、継続的な祈りの支援への感謝とお願いも伝えています。
 

本論
1)神の慰めは神に由来し、私たちを満たす(3〜5 節)
3 節でパウロは、神を「憐れみ深く、すべての慰めの神」として賛美しています。4 節では、神があらゆる苦難の中で私たちを慰めてくださると記されています。WS:苦難=苦しみ、迫害。これは痛みを伴う経験も含まれます。一度でも苦難の中で神の慰めを経験すれば、神が自分のためにしてくださることを知ることができます。そして、その確信をもってキリストにある友を慰め、励ますことができます。5 節では少し異なる観点から、苦しみにある人を私たちが慰めることができる理由が述べられています。彼らはキリストが受けたような迫害を受けていました。イエスを信じる決断をしたとき、自分の十字架を負ってキリストに従うことを選んだからです。その結果、迫害を受けました。その迫害は頻繁かつ厳しいものであったかもしれましかし、同時に、迫害はキリストの教えと約束を思い起こさせました。(マタイ5:10、ヨハネ16:33、ローマ8:28 朗読)神は彼らの祈りに応えられました。したがって、「キリストによって、私たちにも慰めがあふれる」のです。WS:慰め=側に呼ぶこと、親しい呼びかけ。神の判決(みこころ)を伝えるために誰かがそばで個人的に語りかけることを意味します。この言葉の擬人化「パラクレ
ートス」、はイエス・キリストによって聖霊を表す言葉としても用いられています(ヨハネ14:16「助け主」)。神の御霊は、神の御心を私たちに伝え、慰めてくださいます。この節から、神の慰めはイエス・キリストの教えと約束、そして聖霊の助けを通して与えられることがわかります。迫害が私たちに神の教えと約束を思い出させ、それを分かち合って互いに慰め合うことができるよのです。私たちも聖霊の助けを祈り求めましょう。また、聖書の言葉によって自分自身と互いを励ましましょう。


2)神の慰めは、苦しみに耐える力を生み出す(6〜7 節)
6 節:パウロとテモテは福音を宣べ伝えたことで困難を経験しました。それが、どうしてコリントの信徒にとって慰めと救いになるのでしょうか?彼らがパウロたちの忍耐を知れば、福音に対する確信を持ち続けることができたでしょう。パウロとテモテが慰めを受け、その証しを聞いたコリントの信徒たちもまた慰められたのです。それによって、彼らもまたイエス・キリストの教えと約束を思い起こし、慰めを得ることができました。それは、励ましであり、激励にもなったのです。

7 節:このような信仰の理解と確信をもって、パウロはコリントの信徒に対する自分の希望が確かであると告白しました。
3)神の慰めは、死者をよみがえらせる神への信頼から来る(8〜10 節)
8 節:パウロは、アジアでの困難についてコリントの信徒に知ってほしいと願いました。その困難は、まるで死刑の宣告を受けたように感じる程でした。
9 節:彼はそれを恐れさせるためではなく、自分が神を信頼し、神に守られたことを証しするために書いたのです。その困難を通して、彼は「死者をよみがえらせる神」だけに信頼することを学びました。一部のコリントの信徒は復活を信じていませんでした(Ⅰコリント15:12)。しかし、パウロは復活を堅く信じていました。復活に続く永遠の命を思うことで、慰めを受けていたのです。
10 節:さらに大きな慰めは、彼がその「大きな死の危険」から救い出されたことでした。その結果、彼は神がこれからも救い出してくださると望みを置くことができたのです。


4)神の慰めは、執り成しの祈りを通して与えられる(11 節)
パウロが神の救出を信じる希望は、コリントの信徒たちの祈りによっても強められました。彼が困難から救い出されたという事実は、彼らの祈りへの応答でもあり、それ自体がパウロと、彼のために祈った人々にとって慰めとなりました。その結果、多くの人が神に感謝を捧げることができたのです。

 

まとめ
神の慰めの連鎖が、神からパウロへ、そしてコリントの信徒たちへと流れていく様子を見てきました。これは私たちの日常生活の中にも見られるべきことです。以下に、学んだことを振り返りましょう。


1)神の慰めは神に由来し、私たちを満たす(3〜5 節)
ヤコブ1:17 にあるように、「すべての良い賜物、完全な贈り物は上から来る」のです。イエス・キリストの教えと約束が聖霊によって心に満たされるとき、どんな否定的な経験の中でも慰めを得られます。聖書に神の御心を求め、生活の中に適用しましょう。


2)神の慰めは、苦しみに耐える力を生み出す(6〜7 節)
神の慰めは、キリストにある希望に私たちの焦点を定めさせてくれます。その希望によって困難に耐えることができるのです。また、証を分かち合うことで慰めも共有されます。困難の中で信仰を保って生きる人がいることを知ることは、大きな励ましです。


3)神の慰めは、死者をよみがえらせる神への信頼から来る(8〜10 節)
死者の復活、永遠の命、そして神の国における相続は、キリスト者にとって強い希望と確信です。地上でのどんな困難の中でも、それが神の慰めとなります。この信仰がなければ、私たちの忍耐は無意味です。あなたは復活を信じていますか?イエスの復活後の顕現によって信仰の無かったイエスの弟子たちが信仰を持ち、パウロが使徒になったことを思い出してください。神は、ペンテコステの日にも、多くの人たちが見聞きすることのできる印をくださいました。


4)神の慰めは、執り成しの祈りを通して与えられる(11 節)
誰かが自分のために祈ってくれていることを知るのは、大きな励ましです。パウロですら他のクリスチャンに祈ってもらいたかったのです。ならば、私たちはなおさら、互いの執り成しの祈りを必要としています。祈祷課題を分かち合いましょう。