礼拝音声
聖書箇所:使徒行伝 1:12-26
説教題:最初のクリスチャン集会の精神
導入
*イエスの指示を受けた弟子たちは、主の命令に従ってエルサレムに戻りました(4節参照)。
*本日の聖書箇所では、弟子たちが父なる神の約束の成就を待つ間に何をしていたかに焦点が当てられています。
*この箇所がなぜ重要なのかを詳しく見ていきましょう。
本文
12節
オリーブ山への言及は意味が有ります。メシアが戻ってくる場所として期待される場所であり、天使の言葉とも一致します。(11節、ゼカリヤ書14:4参照)
安息日に歩ける距離は約914メートルでした。
13節
屋上の間は、食事、祈り、集会などに用いられる上階の大きな部屋でした。ルカは、十一人の弟子たちがそこにいたことを記しています。イエスの言いつけをみな守っていました。
14節
弟子たちは神の約束を待つ間、祈りに専念していました。
*祈りはキリスト教信仰の中心です。このときの祈りは「心を一つにして」(ギリシャ語: ὁμοθυμαδόν、「同じ思い、同じ情熱で」)、「絶えず」(προσκαρτερέω、「一つのことに専念する」)行われました。
*以前の弟子たちは議論ばかりして対立したり、イエスが捕らえられた夜には眠ってしまいました。しかし今や、復活したイエスを目撃し、昇天を見届け、約束に励まされて、大きく変えられていました。
*原文のギリシャ語に定冠詞が使われていることから、彼らの祈りには主の祈りが含まれていた可能性もありますし、「その約束」に特化した内容だったとも考えられます。
祈りに専念する間には食事、聖書朗読、黙想のための休止もあったはずです。
*マリアやイエスに仕えた女性たちも共におり、かつては信じていなかったイエスの兄弟たち(ヨハネ7:5参照)も今や、復活の証人として参加していたのは注目に値します。復活のイエスに出会ったからこそイエスの兄弟はこの集まりに参加しました。ヤコブとユダが書いた手紙は新約聖書にも入るほどになりました。
15–16節
この出来事がペンテコステの前の10日間のうち、正確にいつ起きたかは不明です。熱心な祈りと御言葉の黙想の時を経て、ペテロは神に導かれて語り始めました。祈りと御言葉は、イエス・キリストに従う私たちの信仰生活の中心であるべきです。ペテロは、聖書と預言が聖霊により書かれたものであると明言しており、私たちもこの真理を堅く信じるべきです。
17–19節
ここではユダに関する記述があります。「この務めを受けていた」とは、彼が十二弟子の一人だったことを意味します。
*「不正なことをして得た報酬」は、彼がイエスをユダヤ人指導者に売った見返りとして受け取った銀貨30枚を指します。
*「ユダが地所を手に入れた」とありますが、実際には彼が神殿に投げ込んだ金を祭司たちがその金を使って購入しました。
*ペテロは、マタイ27:5に記されている内容を超える詳細を述べています。ユダは崖崖っぷちの木で首を吊り、その枝が折れて落ちたのかもしれません。
20節
ペテロは聖書に従って行動しました。「住まい」は農場や不動産を表すこともでき、ユダの銀で買われた土地、あまりかえりみられない旅人の墓地を指しています。
「その職は他の者に取らせよ」という言葉は、後任が必要であることを強調しています。
21–22節
ここでは2つの重要な点が述べられています。
(1) 欠員は埋められる必要がありました。これは預言の成就であり、マタイ19:28にあるイエスの約束—神の国では弟子たちに12の座が用意されているという言葉—とも一致します。ユダがその座を去ったので、代わりが必要でした。
(2) 使徒となるための資格が明確に定義されています。それは、イエスのバプテスマから昇天まで共にいた人物であることです。
24–25節
ヨセフとマッテヤが候補となり、祈りのときが来ると、全員が心を一つにして神の導きを求めました。
人間には他人の心を見通すことはできませんが、神はすべてを知っておられます。だからこそ、神に選ばれた者を示してくださるよう祈ったのです。
*私たちも、聖霊や御言葉に従おうとしても、全てが明確になるとは限りません。難しい選択のときには、祈り、神の導きに委ねるのが最善です。
*使徒はキリストの使者であり、証人として遣わされる存在です。そのため、選ばれる者は神によって任命されなければなりません。
26節
くじを引いたのは箴言16:33に基づいています。
これが、聖書において神の御心を求めるためにくじが使われた最後の例です。
名前はここでは記されていませんが、マッテアはその後「使徒たち」として言及されている箇所(使徒1:14、2:37、4:33など)に含まれていたと考えられます。
彼は、自分に委ねられた大きな特権を心に留め、忠実に仕えたことでしょう。
まとめ
本日の箇所では、キリスト教共同体の最初の段階が描かれています。そこから以下の原則が導き出せます:
1. キリストの復活と救い、御国の栄光は確かなものである
イエスの兄弟たちが信じたのは、復活が真実であった証です。
イエスが十二の座を弟子に約束されたため、ユダの代わりにマティアが選ばれる必要がありました。
2. 聖書は聖霊の働きによって書かれた
ペテロを含む初期のクリスチャンたちは、その教えに従いました。霊的指導者は、信徒が聖書に従うよう励まさなければなりません。
3. クリスチャンは、聖書を読み、絶えず祈りつつ一致して神の導きを求める
弟子たちはまさにこれを二階の部屋で行っていました。
最終的な決断を神に委ねたのです。神は約束し、祈りに応えてくださいました。