礼拝音声
聖書箇所:使徒行伝 1:1-11
説教題:なぜ天を見上げて立っているのですか
導入
マタイ28章18〜20節で、イエスは弟子たちに大宣教命令を与えました。しかし、これはイエスが弟子たちに残した唯一の指示ではありません。天に昇られる直前、イエスはもう一つの重要な指示を与えられました。それがルカの第二巻である『使徒の働き』の冒頭に記されています。本日は、この導入部の重要性を探り、キリストがご自身の使命をどのようにして信者を通して続けておられるのかを考えていきましょう。
本文
1節 ルカは最初の書(『ルカの福音書』)の冒頭で、テオピロに順序だった記録を提供したいと述べています。これは『使徒の働き』が実際にはルカの著作の第二部であることを示しています。
2節 ルカは、自身の第一巻に記録したイエスの地上での働きを振り返ります。しかしその言葉遣いは、イエスの働きが昇天によって終わったのではなく、『使徒の働き』を通して今なお続いていることを示唆しています。
3節 イエスは復活後の40日間、弟子たちや信者たちに現れ、ご自身が本当に生きておられるという多くの確かな証拠を示されました。これらの出現は、マタイ28章、マルコ16章、ルカ24章、ヨハネ20〜21章に記録されています。パウロも、コリント人への第一の手紙15章6節で、イエスが一度に500人以上に現れたと述べています。ギリシャ文化にも神々の出現の物語はありましたが、それほど明確で物理的で持続的ではありませんでした。復活がなければ救いもありません。弟子たちの証言は、私たちがこのメッセージを信じ、伝えるための確固たる土台です。
4節 正確な時期は不明ですが、イエスは弟子たちに指示を与えました。「食事をともにする」とは、直訳では「共に塩を取る」という意味で、親密な交わりを暗示します。これはキリストの身体の復活をも再確認させるものです。 *なぜエルサレムなのかということですが、イザヤ2章3節の預言の成就のためと考えられます。
5節 「父が約束された賜物」は聖霊のことであることが示されており、使徒2章で実現しました。これはバプテスマのヨハネが予告していたものです(マタイ3:11参照)。
6節 「彼らが一緒に集まったとき」は、4節と同じ場面を指しています。これは意図的で目的のある集会であることを示すための表現です。 「尋ねた」と訳されている語は、「熱心に尋ねた」という語感のものです。動詞の時制は継続的な問いかけを示しています。弟子たちの質問は旧約の預言を反映していました。聖霊と約束された王国は密接に結びついていました。それで、聖霊によるバプテスマということを聞いて、弟子たちはそのことを考えたのです。(例:イザヤ34:14–17)しかし、弟子たちの理解は地上の王国に限定されていました。
7節 時期は父なる神によって定められていると言う表現から考えると、これはキリストの再臨と将来の天の御国を示唆しています。弟子たちはイスラエルの国家的回復に焦点を当てていました。イエスの答えは事実上の「いいえ」であり、彼らの関心を使命へと向け直されたのです。
8節 イエスは彼らの関心を再び5節に向けます。聖霊は、キリストの真の証人となるための力を与えてくださいます。「証人」という語は「殉教者」とも訳され、真理のために命をささげる者を意味します。弟子たちは時を知る必要はありませんでしたが、そのレベルの献身は必要でした。「地の果て」は当時の人々にとってローマやローマの領土を連想させたかもしれません。しかし、福音は全世界に広がり、私たちにも届いたのです。
9節 これはルカ24章50–51節のイエスの昇天の記事を補足するものです。雲は神の栄光と力を象徴します(出エジプト24:15–17、ダニエル7:13、マタイ17:5参照)。これはイエスの神性を確認するものです。
10節 「見つめていた」:集中して見つめる、非常に関心をもって観察するという意味があります。聖霊の話を聞いたうえに、イエスが天に昇って行かれたのですから、当然そういう気持ちになるでしょう。白い服の二人の人:これはイエスの空の墓に現れた天使たちと同様に、天使であることを示します。
11節 「なぜ空を見上げて立っているのか?」と言う質問には、当然ではないかという気持ちが沸くかもしれません。質問の真意は、立ち止まっている時ではないということです。イエスは永遠に去ってしまったのではありません。心配したり失望したりするのではなく、今こそ、イエスの命令に従い、行動する時だということなのです。
*天使の言葉は、イエスの昇天だけでなく、再臨を予告するものであり、神の国の到来をも指し示しています。
*イエスは必ず再び来られます。ですから、心配せず、先ずイエスの証人として忠実に生きなさい。彼が命じられたことを行いなさい。それが天使を通して神が弟子たちに伝えられたことです。
まとめ
様々なことが読み取れると思いますが、次の三点を挙げておきます。
1. イエス・キリストは神であり、メシアである
イエスの復活は、神として死に打ち勝つ権威を示し、約束されたメシアであることを証明しました。詩篇16篇10節などの復活の預言が成就し、弟子たちに繰り返し現れ、食事まで共にされました。イエスの復活は福音と救いの中心です。雲に包まれて昇天されたことも、イエスの神性を証明しています。
2. イエスの働きは信者を通して今も続いている
イエスはマタイ3:11の預言通り、聖霊によってバプテスマを授けられます。聖霊は私たちが神の御国を築くために与えられる助け主です。イエスは、私たちが神の力のうちに仕える道を開かれました。昇天された後も、イエスの使命は私たち信者を通して続いています。
3. イエス・キリストは必ず再び来られる
イエスの再臨の時を気にしすぎるのではなく、イエスの真の証人として忠実に生きることに集中すべきです。イエスの命令に完全に従い、その代表者として生きましょう。
なぜ立ち止まっているのですか?イエスがあなたに言われたことを実行しなさい。