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聖書箇所:マタイ28:1-15
導入
今日は、イエスの復活と、それに対する人々の反応について見ていきます。この力強い物語を通して、マタイが私たちに何を伝えようとしているのか考えてみましょう。
本文
イエスの復活は、まさにイエスが予告した通りに起こりました。そして、それは墓に来た女性たちとローマの兵士たちの両方によって目撃されました。
福音書すべてが、この出来事は「週の初めの日」、つまり日曜日に起こったと述べています。これが、私たちが「三日目の復活」と理解している理由です。金曜日はイエスが十字架で亡くなった日。土曜日は安息日で、イエスは墓の中におられました。そして日曜日、週の初めの日に復活されたのです。ユダヤ的な時間の感覚では、1日の一部でも1日と数えるためです。
神が目撃者たちに示したこと
激しい地震は、神の力と直接の介入を示すものでした。天使の姿も、彼が神の使者であることを明らかにしています。重たい墓石は神の力によって転がされました。それはイエスを外に出すためではなく、イエスがもはやそこにいないことを示すためでした。空の墓こそが、イエスが栄光の体で復活された証拠です。全能にして遍在の存在として。
女性たちは大いなる喜び(ギリシャ語:μεγάλης)で満たされました。
女性たちを通して弟子たちに与えられた指示
ガリラヤへ行くようにとの指示は、まず天使から、そしてイエスご自身から、2度にわたって女性たちに与えられました。イエスが復活された今、十字架前に語られていた、ガリラヤで会うという言葉も成就されるべきです(マタイ26:32参照)。イエスはガリラヤで弟子たちに再び会い、大宣教命令を与えられるのです。
罪深い人間の姿が再び明らかに
ローマの兵士たちは、普通の人々なら神の力の奇跡として受け取るような出来事を目撃しました。しかし彼らにとってそれは命の危機でもありました。ローマ軍の文化では、警護していた対象を失った場合、処刑される可能性があったのです。だからこそ、彼らはローマ総督ピラトのもとへ行く代わりに、ユダヤ人の指導者たちのもとへ向かいました。
ユダヤの指導者たちは、神の奇跡的な啓示を受け入れることを拒み、むしろその神の働きを偽りに見せかけようとしました。彼らは兵士たちに金を渡して、偽りの証言を広めさせたのです——なんと恥ずべきことでしょう!皮肉なことに、もともと彼らがピラトを説得して墓の警備を置かせた理由も、今度は空の墓を説明するための嘘へと変えられてしまったのです。詩篇2:4では、神が逆らう者たちにことを笑うという表現があります。彼らはそういう状況になったのです。おそらくピラトにも賄賂を渡していた可能性が高く、当時そのような腐敗は珍しくありませんでした。
まとめ
天使が告げた通り、「彼は復活されました」。この物語から私たちは何を覚えるべきでしょうか?
1) イエスは三日目に復活された
イエスは栄光の体を持って墓を出られ、再び遍在の存在となられました。その瞬間から、イエスの体は一度も見つかっていません。それは、イエスが生きておられるからです。私たちはこれを信じなければなりません。聖書には、復活のイエスが多くの人々に現れたことが示されています。だからこそ、現代にまでこの福音が伝えられ、信じられているのです。
2) 復活と福音は、分かち合うべきもの
天使もイエスご自身も、女性たちに弟子たちへ報告するよう命じました。その後、弟子たちは大宣教命令を受け、すべての国々に福音を伝える使命を受けました。私たちもこれを伝えていかなければなりません。
3) 罪深い本性は真実に抵抗する
ローマの兵士たちは、目の前の神の奇跡よりも自らの安全を優先しました。ユダヤの指導者たちは、誇りと権力に固執し、復活を拒みました。ピラトでさえ、政治的な都合や賄賂のために偽りを許しました。私たちは彼らのようになってはなりません。