礼拝音声
聖書箇所:2列王記19:1-37
説教題:問題を祈りのうちに主に委ねよう
導入
先月、アッシリアの司令官の言葉を例に取り、サタンがどのようにして私たちの焦点を神から逸らそうとするかを探りました。今日の聖書の箇所では、ヒゼキヤ王がどのように困難に直面し、神がどのように応答されたのかを見ていきます。
19章は37節から成るため、説教を簡潔にするためにその構造を示したいと思います。
1) アッシリアの司令官の脅しを受けて、ヒゼキヤ王はイザヤに祈りを求めました。
2) 神の摂理によって、アッシリア軍は撤退しましたが、ヒゼキヤに脅しの手紙を残しました。
3) ヒゼキヤは神に守りを求めて神殿の中庭で祈りました。
4) 神はイザヤを通して約束を与えました。
5) 約束通り、アッシリア軍はユダを離れました。
本論
困難や脅威に直面したとき、祈りが私たちの最も重要な応答となります。
ヒゼキヤ王はこの真理を体現していました。まず、彼は粗いヤギの毛で作られた布を身にまとい、それを自らの悔い改めと絶望を象徴するものとしていました。彼はまた、部下にも同じようにさせました。次に、彼は預言者イザヤに祈りの支援を求め(4節)、共同の祈りの力を認識していました。ヒゼキヤ王は一人で祈りませんでした。聖書は私たちに一緒に祈るように勧めています。
神はイザヤを通してヒゼキヤの訴えに答え、「あなたが聞いたことを恐れるな」と言いました(6節)。なんという慰めの言葉でしょう!また、アッシリア軍が撤退し、アッシリアの王が剣によって打たれることも保証しました(7節)。
よくあることですが、私たちを悩ませ、怒らせ、悲しませる言葉が再び思い浮かぶことがあります。アッシリアの司令官は撤退しましたが、ヒゼキヤ王に対する脅しの手紙を送り、前回と同じような言葉で脅してきました。その手紙の中で、彼はイスラエルの真の神の力を軽蔑し、神がヒゼキヤとその民を助けないだろうと述べました。
今回は、ヒゼキヤ王は神殿の中庭で個人的に祈りました。その祈りの中で、彼は主を唯一の創造主として認めました。アッシリアの王が多くの神々を滅ぼしたと自慢しましたが、ヒゼキヤはそれらの神々がただの木や石で作られた偶像に過ぎないことを指摘しました。彼は主に、彼とその民を救ってほしいと求め、それは、隣国の民に主こそ唯一の神であることを証しするためだと言いました。
再び、神はイザヤを通してヒゼキヤに答え、さらに励ましの言葉を与えました。神はヒゼキヤの祈りを聞いたと保証し、イスラエルがアッシリアを嘲笑い、神がアッシリアを打ち負かし、アッシリヤ軍が自分の国に撤退する時が来ると約束しました。
神はまた、エルサレムの民についても約束を与えました。エルサレムはアッシリヤ軍に取り囲まれており、兵糧攻めに合っていました。通常畑は城壁の外に有ります。城壁の外の畑からの食物がなくても、落穂などから生えた城壁の内側の収穫物で十分に命を支えることができるということが、神の守りの印だというのです。(29節a)。そして、3年目には、アッシリアが完全にエルサレムから撤退し、民は再び城外で種を蒔き、収穫をすることができるようになるというのです(29節b)。また、エルサレムの繁栄が回復すると言われました(30節)。神はエルサレムをアッシリアから守ると約束しました(32-34節)。
神はその晩すぐに介入されました。主の使いがアッシリアの陣営を打ち、18万5千人の兵士が命を落としました。これは奇跡の業または疫病によるものだったかもしれません。または、雷や雹のような自然災害が原因だった可能性もあります。聖書では「主の使い」と単数形で記されていますが、受肉前のキリストの顕現と考えられます。主の使いは他の聖書箇所では礼拝を受けているからです。
36節によると、アッシリアの司令官の脅しにもかかわらず、エルサレムは守られました。その後、アッシリアの王センナケリブは、ニスロクの神殿で祈っている最中に二人の息子に暗殺されました。偽りの神はアッシリア王を守ることができませんでした。このことは、7節での神の約束が成就したことを示しています。主こそが真の神であり、ニスロクは神ではありませんでした。
まとめ
このエピソードから学べるこことはなんでしょうか
1)神は私たちに常が祈ることを望んでおられる
(ルカ18:1-8、1テサロニケ5:17参照)
祈りは個人的なものだけでなく、共に祈ることも求められています。(列王記第二19:1-2、4;マタイ26:40、使徒2:42、12:5参照)
私たちは神の前で正直に祈り、自分の思いを吐露することができます。私たちの祈りは、神に栄光を帰し、神の偉大さと主権を認めて捧げるのです。(19節)
2)神は私たちの祈りに答えてくださる
神はご自身の約束に基づいて祈りに応えてくださいます。(列王記第一8:38-39、エレミヤ33:3参照)
神を信頼し、信仰を持って捧げた祈りは聞かれます。(ヤコブ1:5、5:15参照)この信頼の態度は、知恵や癒しのための祈りだけでなく、神にささげるべての祈りに適用されます。
3)主こそ信頼に値するお方 である
アッシリアの司令官は自分の神々の力を誇りましたが、主こそが唯一の真の神、創造者なる神です。
主はエルサレムを守り、戦いの流れを変え、センナケリブ王を撤退させました。
主の使いはアッシリア軍を打ち、神の救いの約束を成就させました。今日でも私たちは救い主なる主イエス・キリストを信頼することができるのです。
神が予告した通り、センナケリブは最終的に剣によって滅ぼされ、主だけが私たちの信頼に値することを証明しました。