礼拝音声
聖書箇所:2列王記 18:17-37
説教題:信仰を挫くもの
導入
ヒゼキヤはユダ王国の歴史の中で正しい王の一人でした(2列王記18:3および5参照)。彼は主が自分と共におられると確信し、初めはアッシリアに反旗を翻しました。しかし、アッシリアがユダを攻撃すると、彼は神の保護を信じきることができませんでした。代わりに、彼はアッシリアの王に金と銀を送ることで妥協しました(2列王記18:14-16参照)。それでもアッシリアの王は満足せず、ユダに三人の使者を送り、ヒゼキヤに降伏を要求しました。では、彼らがどのようにしてヒゼキヤを諦めさせようとしたのか見てみましょう。
本文
第17節: 初めに、アッシリアは三人の強力な指導者によって指揮される大軍を送りました。聖書には三つの名前が記録されていますが、それは個人名ではなく肩書であると考えられています。将軍とか大将と考えると良いでしょう。それは、ヒゼキヤ王にとって重大な脅威となりました。
第18節: これに対して、ヒゼキヤは自分の有力な指導者三人を使者として送りました。
第19節-21節: アッシリア軍の大将の一人がユダの官僚たちにヒゼキヤ王に対する直接的な脅威を伝えました。まず、彼らはエジプトとの同盟を頼りにすることが無駄であると強調しました。エジプトはユダに対して有力な支援を提供するほどの力を持っておらず、むしろユダにとって害となる可能性があると述べました。
第22節: 次に、彼らはヒゼキヤの宗教改革を指摘し、ユダの人々に神への信仰を疑わせようとしました。彼らは、高き所と祭壇を取り壊すことが神の怒りを引き起こしたと示唆しました。高き所は、元来主なる神への礼拝のために設けられたものです。(1サムエル記9:12-14参照)。しかし、異教の神への礼拝のためにも用いられるようになったため、ヒゼキヤの宗教改革の時に取り除かれたのです。アッシリアの大将が言っているは、「お前たちは高き所や祭壇を取り除いたのでかみは怒っておられる。そんな神をどうして頼ることができると思うのか?」というのです。
第23節-24節: 三番目に、彼らはユダの軍事力の脆弱さを指摘し、人々を落胆させようとしました。ユダには馬がほとんどなく、ヒゼキヤは訓練された騎兵を配置することもできませんでした。ですから、アッシリヤが二千頭の馬を貸してくれたとしても、乗り手はいなかったのです。ユダの軍隊は劣っていたのです。
第25節: 四番目に、彼らは偽りの言葉でユダの人々を落胆させようとしました。もしアッシリアの圧迫がヒゼキヤの宗教改革の結果だと思わせれば、簡単に騙される可能性がありました(第22節思い出してください)。これはユダが主との契約の内容に反しており、真実ではありませんでした。彼らが主に忠実であるならば、主が守ってくださるというのが契約の内容なのです。
第26節-27節: 五番目に、彼らは絶え間ない包囲戦の下でのひどい状況を描き、ユダの人々を絶望させようとしました。エルサレムが包囲されれば、外から食料や水が入ってきません。食べ物も水も不足すれば、ついには自分の糞や尿を飲むしかなくなるということなのです。
第29節-30節: 六番目に、彼らはヒゼキヤの指導の正当性を疑わせ、ユダの人々が神を信じないように仕向けました。
第31節-32節: 七番目に、彼らは良い土地と産物を約束し、人々を誘惑しました。降伏すれば豊な食生活が保証され、異国に移送されても引き続きそれを保証するというのです。しかし、降伏しなければ命の危険があるという脅迫も伴っていました。
第33節-35節: 八番目に、彼らは主を周囲の他の神々と同列に並べて、主がユダを救うことはできないと伝えました。彼らはすでに北王国イスラエルを滅ぼしていたため、その言葉はエルサレムの人々の一部には説得力があったかもしれません。
第36節-37節: ここで重要な原則は、偽りのメッセージや嘘に惑わされないようにすることです。ヒゼキヤは賢明にも、ユダの人々に三人のアッシリアの指導者に対して返答しないように指示しました。これは、エバがサタンとの会話で欺かれたことを思い出させるものです。同じように、私たちの霊的な生活でも、誤った信念に固執してそれに何度も思いを馳せると、嘘に導かれる危険があることを示しています。
まとめ
アッシリアの指導者たちは、ユダの人々を様々な手段で落胆させようとしました。ヒゼキヤ王とその民は、神が与えてくださった土地を守るために信仰を堅持しなければなりませんでした。同じように、私たちも神が私たちに委ねてくださったものを守るために、信仰を堅く保つように呼びかけられています。そのためには敵の作戦を理解しなければなりません。
アッシリアの指導者たちがユダの人々に対して使った脅しの方法を考えてみましょう:
1. 力と能力の大きな差
アッシリアは馬や騎兵を含む大軍を率いてきましたが、ユダにはそれがありませんでした。ユダの人々は神に保護を頼らなければなりませんでした。私たちもまた、世界的な力ではなく、神に信頼しなければなりません。(歴代誌下14:11、アサ王の祈り、2列王記6:17参照)
2. 神が私たちの味方でないという考え
アッシリアの指導者たちは、主がユダの民に敵対しているという考えを植え付けようとしました。サタンは今日でも同じような手段で私たちを欺こうとします。しかし、私たちが神を信頼する限り、私たちは神の民であり続けます。(イザヤ43:4の神の言葉参照)神は私たちを罰するためにに敵や試練を送ることはありません。それらが来ることを許されるとしたら、神の目的のためにそうされるのです。その向こうに希望が有ることを心に留めましょう。
3. 神を信じることが無意味だという考え
アッシリアは、主を信じることが無駄だと人々に納得させようとしました。しかし、主は私たちを自分の民とし、約束を守られます。主は私たちの羊飼いであり、全能であり、無力な偶像の神々とは違います。
私たちが気をつけるべきこと
1. サタンがどのように私たちを欺くかを認識すること
サタンは私たちの心に多くの間違った考えを植えつけようとします。この手段を認識し、そのような考えが入って来た時には、すぐに気付けるようにすることが重要です。
2. 間違った考えに囚われないこと
これらの考えは私たちを落胆させ、神から引き離し、信仰を弱める可能性があります。代わりに、私たちは聖書で欺きに立ち向かわなければなりません。エペソ6章では、パウロは神の全ての武具を身につけるように教えています。17節では、「救いの兜」と「神の言葉である霊の剣」を取るように具体的に言っています。このようにして、間違った考えが入って来た時にも、それを聖書の言葉で打ち消し、むしろ聖書の言葉を思い巡らすのです。