礼拝音声
聖書箇所:1サムエル14:36-46
説教題:何故サウルの誓いは無効なのか
導入)
39節を見ると、サウル王は主の御名によって誓いの有効性を繰り返し述べ、破ったものは死ななければならないと言っています。しかし、サウルがイスラエルの兵士たちに誓わせたことを破ったように思えるヨナタンが死ぬことはありませんでした。誓いの様子は24節と28節にも出て来て、その拘束力を示しているように思えます。それでは何故ヨナタンは死を免れることができたのでしょうか。この記録の目的は何なのでしょうか。一緒に確かめてみましょう。
本論)
36節 日中サウルの軍隊はペリシテ人を撃って、ユダ族の領地内のアヤロンまで押し返しました。夕食を取って体力を回復した後、サウルはペリシテ人が国境を越えて自国に逃げる前に追撃して夜通し攻撃し、全滅させたいと考えました。サウルの指令に兵士たちは従順でした。10:7に出て来る預言者サムエルの、王になってしるしが現れたら何でもしなさいという言葉を聞いていたからかもしれません。しかし、同行していた祭司アヒヤは、神の前に出ましょう、すなわち神の御心を伺いましょうと言います。祭司として、彼はサウルの態度に不安を感じていたのかもしれません。サウルは祈ること、神の御心を求めることに積極的ではありませんでした。(19節では、アヒヤの祈りを途中で止めさせたりしていまうす。)
37節—38節 彼らの期待とは裏腹に、神様は祈りに答えをくださいませんでした。神からの答えが無いために、サウルは民の中に罪が有って神の御心を損なっているので答えが無いのだと考えました。それで、誰が罪をおかしているのかを祭司のくじを使って調べようとしました。
39節 28節や30節の記述から、兵士たちはヨナタンが蜂蜜を舐めたことを知っていたことがわかります。しかし、彼らはヨナタンを失いたくなかったので、誰もそのことを言いませんでした。
40節—41節 聖書は何故サウルが王族と兵士を分けたのかを示してはいません。また、くじの用い方は私達の聖書には述べられていません。70人訳と言われるギリシャ語の旧約聖書には、「もし私か息子のヨナタンに過ちが有ったならウリムで、イスラエルの民に過ちが有ったならばトンミムでお答えください。」という記述が追加されています。祭司が持っている入れ物に、ウリムとトンミムを示す文字か記号がついている棒もしくは石を入れて、最初に取り出されたものが指し示す人や物事を神の啓示とする方法でした。最初にサウルとヨナタンが取り分けられました。
42節—44節 次のくじはヨナタンにあたりました。ヨナタンが何をしたのかを説明しています。しかし、杖の先で少しの蜂蜜を味見しただけで、何かを食べたと言う状況ではありませんでした。「私は死ななければなりません。」と言う部分は「私は死ななければならないのでしょうか。」という疑問文として訳す聖書も有ります。サウルは自分が立てさせた誓いの手前面目を保ちたいと思ったのでしょうか、神を持ち出してヨナタンは死ななければならないと宣言します。
45節 これまではサウルが提案をする度に「あなたのお気に召すようにしてください。」と言っていた兵士たちでしたが、今回ばかりは反対の声を上げないわけにはいきませんでした何故ならば、この時のペリシテ軍への勝利は、神への信仰に基づいたヨナタンの行動によってもたらされたからです。(ヨナタンの信仰の現れは6節を参照)彼らはペリシテ人との戦いでの勝利の功績をヨナタンのものだとしました。そして、彼の功績は、神が共におられたからこそ可能であったことを知っていました。だから、ヨナタンが死ぬべきではなかったのです。
一方で、神はサウルを民を守る王として立てたのに、彼は信仰によってペリシテ人に立ち向かう行動を起こせませんでした。
46節 サウルは民の言葉を受け入れるしかありませんでした。また、神はその後の追撃の計画には答えてくださらなかったので、引き揚げるしかありませんでした。
サウルの誓いは無効であった
ここでは、サウルが誓いを立てさせた時の態度に目を留める必要があります。24節のサウルの言葉を見ると、「私が敵に復讐するまで」という表現をしています。彼は自意識が勝っていました。そこには、神の栄光を現すために戦うという態度、姿勢が有りませんでした。また、彼が考えた誓いの内容も、人間的で軽率なものでした。サウルが考えたことは、次のように推測されます。600人程いる兵士たちが俊美して食事をするとなると、どんなに急いでもかなり時間がかかります。そうしているうちに、ペリシテ人はどんどん逃げてしまって撃ち損ねることになるかもしれません。食べる間を惜しんででもできるだけ多くのペリシテ人を撃ちたいとサウルは考えたのだと思われます。しかし、空腹のために、彼らの任務は効率が悪いものとなってしまいました。(30節ヨナタンの言葉参照)
サウルが立てた誓いの動機や条件は間違っていました。それで、彼が神に伺いを立てた時に、答えていただくことができませんでした。彼の誓いが無効であり、神の名をみだりに唱えるものになっていたからです。それで、神がヨナタンが死ぬことをお許しにならなかったのだと考えることができます。ヨナタンを擁護したイスラエルの民の理解は正しかったのです。
まとめ)
サウルの誓いが無効であった理由がはっきりしました。私達はこの箇所から何を心に留めたら良いでしょうか。
1)私達は常に祈りのうちに神の御心をもとめなければなりません
サウルは度々祈らずに物事を決めている様子が有りました。彼は神の御心を求めるよりも、目の前の状況だけ見て行動をきめていました。それで、祭司であるアヒヤが神の御心を伺うように勧めなければならなかったのです。私達はサウルの例に倣ってはいけません。日々御心を求めて祈りましょう。
2)私達は自分の目標を達成するために神を利用してはなりません
サウルは神の御心を求めず、自分の目標を達成するために不要な誓いを立てました。そのせいで、彼に従う兵士たちは大変な苦労を強いられました。更に、サウルが御心を伺った時には、神の答えをいただくことができませんでした。
私達の約束や誓いもそのようなものになっていないか注意する必要があります。私達の祈りが答えられない時はどう考えたらよいかは、ヤコブ4:2-4に示されています。自分の欲のために、自分の目標のために祈っていないかを確認することです。
3)私達は神の教え、戒めに基づいて行動するべきです
ヨナタンは神の命令と約束を信じて行動を起こしました。その結果、神は先ずヨナタンにペリシテ人への勝利を与えられました。神が共におられたのでヨナタンが勝利をおさめることができたというイスラエル人たちの理解は正しいものでした。それで、大勝利がイスラエルにもたらされたのです。
反対に、サウルは神に与えられた使命と約束に従って行動を起こせずに躊躇していました。また、進んで祈って力を得ることもしませんでした。私達の信仰も問われるのです。