礼拝音声
聖書箇所:詩編44編1節-26節
説教題:主よ、なぜ御顔お隠しになるのですか
導入)
この詩編の副題には、コラの子たちのマスキールとあります。コラは、荒野でモーセとアロンに逆らって神に滅ぼされたレビ人です。しかし、その子孫は続けて神に仕えていました。彼らの役割は、門衛と神との交わりの捧げものを整えることでした。後者には、賛美の歌を歌うことが含まれていました。この詩編もそういう役割を持ったコラの子たちの一人が書いたのでしょう。因みに、預言者サムエルもコラの子孫で、彼の孫のヘマンも歌手として1歴代誌には記録されており、詩編の88編は彼の作とされています。
この詩編は、嘆きの詩編に分類されます。詩編の4割近くが嘆きの詩編だと考えられていますが、この44編には特徴が有ります。多くの嘆きの詩編は、どんなに嘆いても、最後は賛美の告白で結ばれることが多いのですが、44編は、神への懇願の言葉で締めくくられています。この詩編の記者は信仰が欠けていたのでしょうか。その伝えようとしている内容を確認してみましょう。
本論)
神への呼びかけ(1節-8節)
この部分では、記者は、「神よ」と呼びかけています。先ず、神が先祖にしてくださった御業を思い出しています。その内容は、出エジプトからカナン入植までと考えられます。そして、そのことが可能だったのは、神の力のおかげであって、先祖の力によるのではないことを告白しています。
4節から大事な転換が見られます。記者の焦点が、先祖から自分たちの世代に移ります。しかし、ここでも、自分達が成し遂げて来たことは、神の力によるものであって、自分達の力によるのではないことを告白しています。更に大事なことは、4節にあるように、神が「私の」王であるという告白をしていることです。彼は、民全体を代表するように立場で一人称単数の「私」を用いたのでしょうけれども、そこには、例え他の同胞がそう言わなくても、私にはあなたが王ですという強い信仰の現れが有るように思います。
神が国にしてくださったこと(9節-16節)
力強い信仰告白の後で、記者は神に不平を述べ始めたかのように見えます。私はあなたを完全に信頼しているのに、あなたが私たちにしていることは酷いではありませんか、と言っているような記述になっています。神が助けてくださらないから、敵国の思うがままにあしらわれ、命を落としたり、奴隷として連れ去られたりしているというのです。大変困難な状況であることがわかります。
この箇所で特徴的なことは、記者が神に対して繰り返し「あなたは」と呼びかけていることです。神がこれらの困難な状況を民に与えているという表現になっています。そこに、私たちは何を見出せば良いのでしょう。ここに記者の信仰を見るべきではないかとおもわれます。どんなことの背後にも、主権者なる神がおられて、神が全てを治めておられるという信仰です。
私たちの心の状態(17節-22節)
記者は、そのような中でも、神に対して信仰を貫いていることを訴えます。神を忘れず、契約を守り、忠実に歩んでいると言っているのです。にもかかわらず、私たちは神の助けを得られないとはどういうことかと神に訴えています。(17節-19節)記者は表現を変えて畳みかけるように続けて訴えます。全知全能の神ならば、訴えている記者の心の中がわかるはずで、神がご覧になっても、自分が神に忠実なことは明白だろうと訴えています。
22節では、「あなたのために、私たちは一日中、殺されています」と書かれています。あなたのために、というのは、彼らが神に忠実で、外国の政策に同化し、外国の神を礼拝しないことを指していると考えられます。記者は、このようにして、表現を変えながら、繰り返し自分たちが神に対して忠実であることをしつこく訴えているのです。
これが私の懇願することです(23節-26節)
23節-24節で記者が言っていることは、「直ぐに私たちを救い出すために行動を起こしてください。」ということです。なぜ眠っておられるのかという問いは、修辞的表現です。神は眠ることのない方です。なぜ御顔をお隠しになるのですかという問いは、どうして恵みを、救いを与えたくださらないのですかということです。旧約においては、神の顔は、神の恵みを示す表現です。
私たちは、神に対して「なぜ」と問いかけることは不信仰であると考える傾向があるかもしれません。しかし、これまでの記述の流れを考慮する時、記者の心に有るのは神への不信仰や疑いではなく、神に対する信仰、信頼、確信と判断することができるのではないでしょうか。
25節は、民がどん底の状態にいることを言い表しています。私たちの悲惨な状況を見てくださいと訴えています。同時に、それは、「神様、今こそ、あなたに忠実に生きている私たちのために行動を起こす時ではありませんか。」という訴えになっていると考えられます。
記者の継続的な訴えは、イエスが弟子たちに、いつも祈るべきであり、失望してはならないと教えられたことを思い起させます。(ルカ18:1参照)最後の26節でも、「立ち上がって私たちをお助けください。」という類似の繰り返し表現で締めくくっています。それに伴う、「あなたの恵みのために」という表現は、何を意味しているのでしょうか。記者は、神が恵みの神であるという後性質に訴え、また、その恵みの故に民に与えられた契約を履行して、神に忠実である私たちを救い出してくださいと訴えていると考えることができます。
まとめ)
記者は、最後の一行も神への懇願の言葉で締めくくりました。神に「なぜ」と尋ねていますが、彼の信仰は未成熟なのでしょうか。いえ、もしそういうことならば、この詩編が聖書に収録されることはなかったでしょう。私たちは、むしろ、成熟した強い信仰が示されていると考えるべきです。この詩編の模範に従うなら、私たち大きな困難に直面する時、どのように祈ったら良いのでしょうか。
1)神がこれまでにしてくださったことを感謝し、神を賛美する
これが、この詩編の記者が最初にしたことです。どんな時でも神への感謝から祈りを始めることは大事な要素です。私達は、すべてのことが神の恵みの結果であり、自分の能力の結果として誇らないようにし、神に信頼しなければなりません。
2)神を自分の王として、神への信仰と忠誠を示す
詩編の記者は、一人称単数の「私」を用いて、神を「私の王」と宣言しています。彼は、神の契約を信頼していいました。神の教えに従う時に、神が祝福してくださることが、神と民が交わした契約です。
3)神に懇願する
詩編の記者がしたように、自分が直面している大きな困難の内容を神に申し上げるのです。ピリピ4:6-7では、「あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」という一節が有ります。神は全知ですから、私たちが表現しなくても、私たちの願いはご存知です。この聖書箇所の言わんとすることは、神にあなたの祈りを経験していただきなさいという意味合いになるという解説を読んだことが有ります。あなたが直接神に申し上げることに意味が有るのです。そのようにして、神に直接救いの手を伸べてくださるように懇願するのです。諦めずに祈り続けるのです。(前出)私たちが神との契約を持った神の民であることと、私たちが神の教えに忠実に従っていこうとしている存在であるという事実に基づいて懇願し、祈り続けましょう。