礼拝音声
聖書箇所:ネヘミヤ 9:1-38
説教題:悔い改めの要素
導入)
この箇所には、レビ人たちの悔い改めの祈りが記録されています。この祈りは、原稿を複数のレビ人たちが朗読したものと思われます。この祈りに表されている悔い改めの要素を確認していきましょう。
本論)
悔い改めの大事な要素の一つは、三節に示されているように、主の律法の書の朗読に有ります。ここでは、三時間の聖書朗読が有りました。それだけではなく、直前の8章では、民が聖書朗読と解説を求めて集まったことが示されています。聖書を読むことは、いつでも重要な要素なのです。
三節の続きでは、礼拝が三時間捧げられたことが宣べられています。礼拝し、神との交流の中に身を置くことも大事な要素です。これらのことを通して、私たちは、1)神の御心を知る2)改めるべきことを理解する ということに導かれるのです。
実際にレビ人たちがささげた悔い改めの告白には、七つの要素が示されています。
1)神がどのような方であるかの告白(6節‐7節)
神は創造主です。
2)神がアブラハムと交わした契約の告白(7節‐8節)
神がご自身を啓示してくだり、契約を結んでくださらなければ、神を知
ることもなく、悔い改めの機会も無かったことになります。
3)神は契約に忠実であることの告白(9節‐15節)
契約に基づいて、エジプトの奴隷生活から解放し、荒野で導き、律法を
与え、荒野で大勢の民を養いました。
4)神が民に対していかに憐み深いかの告白(16節‐25節)
反抗する民を忍耐深く導き続け、食物を与えて養い続け、契約を打ち切
ることがありませんでした。
5)神が契約に基づいて忍耐強く民を監督したことの告白(26節‐31節)
契約に基づいて、民が反抗すれば罰が与えられ、悔い改める時には救い
出してくださいました。神の契約は永遠に有効です。
6)神の憐みを請い願う告白(32節)
ふりかかった困難を、小さい事とみなさないでくださいという願いは、
憐れんでくださいと願っていることになります。アッシリヤやバビロン
の捕囚から数えて、70年以上困難を経験してきたことに基づいて、レ
ビ人達は、民の代表として祈っています。
7)神が義であることと、民の罪の告白(33節‐37節)
彼らが神の戒めを守らなかった罪を告白し、彼らが直面する困難が罪の
裁きの結果であることを認め、神の御心に同意しています。
彼らは、いわば、民族、国家全体として悔い改めたことになりますが、それは、彼らが、モーセを通し、民族全体、国全体として契約をしたからです。現代の神の民、新約の聖徒であるクリスチャンは、そういう契約関係にはありませんが、これらの契約の要素を心に留めるのは有意義なことです。
まとめ)
悔い改めに関する要素を、三つにまとめて確認します。
1)聖書の言葉と礼拝が私たちを悔い改めに導く
ヤコブ1章に有るように、聖書の言葉は、私たちのあるべき霊的状態を示す鏡のような働きをします。神を礼拝し、交流を持つ時、私たちの霊を回復させ、私たちに、神との良い関係を求めさせ、悔い改めに導きます。聖書通読と、毎週の礼拝を守ることを心掛けましょう。
2)神についての知識が私たちを悔い改めに導く
私たちは、どなたに向かって悔い改めをするのかを明確に理解している必要が有ります。私たちと、イエス・キリストの血によって契約を結んでくださった創造主なる神に対して悔い改めをするのです。神は、契約に忠実な方で、恵と誠に満ちておられる方です。全能の神で、全てのものの上に主権を持っておられる神に対して悔い改めをするのです。
3)私たちが契約、戒めを破ったことに神と同意することが悔い改めである
イエス・キリストを信じ受け入れた時、私たちは、イエスの戒め、命令を守ることを約束しました。戒め、教えに従わなかったことに気付いた時、私たちは、不従順であったことを認め、赦しを求めて悔い改めるのです。その時に、回復の祝福をくださることも、神の約束の中に含まれています。
悔い改めのイメージは、どのようなものでしょうか。否定的でみじめなものに感じる人もいるかもしれません。しかし、悔い改めは、むしろ喜ぶべきことです。神との関係が回復されるからです。放蕩息子の例話では、父親が帰ってきた息子のために宴会を開いたように、悔い改める私たちにも、神は同様に喜んでくださっています。