礼拝音声
聖書箇所:ヤコブ 1:19-27
説教題:迫害下の純真な振る舞い
導入)
ヤコブは直前に、試練を喜びと思うための秘訣を述べました。今回は、私たちが迫害にあう時に、どのように怒りを治めるべきかを教えています。
本論)
19節‐20節 原文では一文で、20節は理由の副詞節になっています。「あなたがたはそのことを知っているのです。」と訳された部分は、原文ではむしろ、「このことを心に留めなさい」という命令として読むべき内容になていると考えられます。心に留めると訳せる語は、意識しておきなさい、見なさい、という言い合いが有り、注意を促す強調点と言えます。
三つのことが指示されていますが。その理由は、20節に有る通り、人の怒りは神の義を実現しないからです。人間的な怒りは、神に拠り頼まず、自分の能力で自己防衛をしようとさせます。私たちの守りは、ただ神からだけ来るのです。神に拠り頼まない行動ですから、神の義を実現するはずがなく、むしろ罪と言えます。迫害にあう時には、怒りにまかさえて言い返したりしてはいけないのです。
21節 人間の罪の性質を持った怒りを避けるために、ヤコブは「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。」と命じます。受け入れるという語は、歓迎して受け入れるという意味合いが有る語です。みことばとは、イエスのことば、使徒たちのことば、ひいては聖書のことばということになります。ですから、あなたの魂を救うことができるとヤコブは付け加えているのです。
みことばには、クリスチャンの道徳的規準、行動規範を教えるのです。悪を捨て去りという表現の「悪」は、傷つけてやりたいという願望を表す言葉です。迫害されて、怒りに燃えて報復したくなる思いを捨てるのです。私たちがするべきことは、神に信頼し、その教えに従順することです。
22節‐25節 ヤコブは心に植えつけられたみことばをどのように受け入れるのかを、鏡の例話を用いて説明しています。
み言葉を実行するというのは、神の国の希望をもって試練を喜びと思うことが含まれています。また、迫害にあっても神に信頼し、怒りをもって応答しないことも含まれます。
自分を欺くことで、みことばを実行しないという説明が有ります。欺くと訳された語は、間違った理由付けをする、という意味が有ります。こんな目にあっているのだから、当然自分には報復する権利が有る、などという理由付けをすることがそれにあたります。
鏡を見る目的は何でしょうか。自分の顔や身なりを整えることです。そのためには、よく鏡を見る必要が有ります。当時の鏡は、銅鏡で、金属の表面を磨いたものですから、現在のガラスの鏡よりも映像が不鮮明でしたから、なおさらよく見る必要が有りました。
生まれつきの顔というのは、化粧をしていない顔とも言えると思います。寝ぐせがついていないか、眉は整っているか、シミ、ソバカスが浮き上がっていないかを見たのに、何もしないで鏡の前を離れ、自分の状態を忘れてしまうとしたら、鏡を見る意味がどこにあるでしょうか。同様に、私たちの罪の性質を指摘し、神の御心にそった正しい生き方を示すみことばを読んだのに、それを守らなかったら、戒めを聞いたり読んだりすることの意味がどこにあるでしょうか。
25節に、みことばを実行する者の在り方が示されています。完全な律法というのはみことば、聖書のことばです。みことばは、私たちの霊的な鏡と言えるものです。一心に見つめるという語は、間近によく見るために屈みこむという意味が有ります。離れないという語は、側に留まる、近くに留まるという意味が有ります。その人は自分の霊的な生活で、正すべきことがわかり、みことばに従うことによって、祝福される者となるのです。また、神の国の希望を持つことによって、心に自由が与えられます。
26節‐27節 ヤコブは再び読者の注意を迫害に怒りをもって応答することに引き戻します。自分の舌にくつわをかけないという表現が、怒りにまかせて言葉を発することだとわかります。
宗教という表現が繰り返されます。それは、一般的な意味ではありません。みことばの戒めに注意深く従うこと、キリストにある正しい歩みを指して用いられています。
みことばに従わないで、自分の都合の良い理由をつけて、迫害者と言い争ったりするならば、それは、神に拠り頼んでいないことであり、また、その戒めを守らないことですから、罪をおかしていることになり、信仰告白をしている意味が有りません。ですから、そのような人の宗教はむなしいものなのです。
27節で、ヤコブは、イエスの教えに敵対するこの世にあって、私たちの優先順位は何であるかを示しています。それは、世の光、地の塩として生き、証を立てることです。その一例が、孤児や、やもめの世話をすることであり、この世の価値観に影響されずに、みことばに従って生きることなのです。
まとめ)
私たちは、どのようにしてこの世に影響されないで自分をきよく守り、迫害下で純真な振る舞いをするのでしょうか。
1)みことばに従い、怒らずに迫害を耐え忍ぶこと
・キリストにある希望は既に教えられました。それを心に留め続けるのです。
・自分の怒りを離れ、私たちの義である神を信頼するのです。
2)自由を与える完全なみことばを一心に見つめること
・みことばは、私たちに聖書の善悪の基準を教えます。それを守るのです。
・みことばに従うことで、魂の自由と祝福をいただきましょう。
3)神の御前で世の基準に影響されていない振る舞いを守ること
・神に信頼してみことばに従った振る舞いをするならば、神と人に好意を得る。
・良い行いを続け、この世によい証を立てる。