礼拝音声
聖書箇所:ヤコブ1:9-18
説教題:試練を喜びと思いなさい
導入)
ヤコブは2、3節で、試練を喜びと思いなさいと指示しています。8節までに彼が示した指示は、1)試練を喜びと思いなさい 2)忍耐を完全に働かせなさい 3)神の知恵を求めなさい、ということです。ヤコブは再び試練を喜びをもって耐えることに話を戻します。ここで彼は、神の知恵の幾つかを分かち合おうとしていると考えられます。試練を喜びと思うためにどうしたらよいのでしょうか。
本論)
1)神の国の在り方を心に留めて試練を喜びと思う(9節‐12節)
貧しい境遇というのは、貧乏だということではありません。迫害されて見下されることを指していると理解することができます。そんな時には、自分の高い身分を誇りとしなさいとヤコブは命じています。誇りとするという語は、喜ぶとも訳せるものです。高い身分というのはどういうことでしょうか。マタイ18:3-4では、子どものようになる、神に頼り切った者が天国で一番偉い者だと宣言されています。人間に見下げられても、神からは、天国で一番偉い者だとみられるなら、それこそ高い身分ということになります。そのことを喜ぶのです。
富んでいる人が低くされるというのも、信仰のために見下されることだと考えられ、悪ければ、財産が没収されるようなこともあったのではないかと考えられます。信仰者は、この世の富の空しさを心に留めなければなりません。イエスも愚かな金持ちの例話で警告しています。(ルカ12:15-21)
迫害されて、見下されたり財産を没収されることは、信仰を捨てることにつながりかねない試練でした。それを耐えることのできる励まし、希望が12節に述べられています。神の国で一番偉い者の一人となり、イエスと共に永遠の栄光を受け継ぐ者になることが、約束の命の冠です。
2)試練と誘惑を区別することによって試練を喜びと思う(13節‐16節)
なぜヤコブはここで誘惑の話を持ち出したのでしょうか。それは、試練を表す名詞と、誘惑するという動詞が同じ語幹で、どちらにも訳せる語なのです。おそらくヤコブは、この事実に起因する誤解、混同である「神が誘惑する」という考えを正そうとしたのでしょう。試練は、神に忠実な信仰を持った者であることを証明するためのテストです。誘惑は、人を神への信仰から迷い出させるものです。ですから、神が誘惑するなどということは有り得ないのです。ヤコブは、そのことを、神の御性質を指し示すことで説明しようとします。「神は悪に誘惑されることのない方」と訳された部分は、神は誘惑することに慣れていない方、誘惑をしたことがない方という訳が適切だという指摘も有ります。
次に、ヤコブは、実際の誘惑の元は何かを示します。それは、本人の心の中に有るのです。アダムとエバが堕落した時もそうでした。ここでいう欲というのは、神の国で受けるいのちの冠よりも、この世の社会で受ける誉や富を優先させたいという思いです。15節はその過程を示しています。この世で受け入れられたいならば、信仰の実践から離れるでしょう。信仰自体が無くなることも有ります。神から離れることが罪ですから、それは、最終的には、最後の審判を経て永遠の死に定められることになります。
ですから、16節でだまされないようにしなさいと命じられています。彼らが直面しているものが誘惑ならば、反省しなければなりません。試練だと思うならば、耐えてよしとされ、命の冠を受ける希望を持って生きることができるのです。
3)神が良い方であることを心に留めて試練を喜びと思う(17節‐18節)
先の勧めを補強するように、神が良い方であることをヤコブは続けて説明します。良い、と訳された語は、本質的に良い、見かけがどうあれ、内実は良い、という意味が有ります。試練も良いものだという考えを含むと思います。
神の良い御性質が三つ示されています
1)光を造られた
直接的には光そのもの、また、星、天体を創造された神ということです。
それは、霊的な光をも念頭に入れたものでしょう。神は闇や罪を造られ
た神ではないのです。
2)移り変わりがない
昔の天文学者たちは、運行の規則性がわからない惑星の動きを示す時に、
移り行く影、という表現をしたそうです。ヤコブは、神は首尾一貫して
おられることを示すために、この表現を用いました。
3)私たちを被造物の初穂にする
神は新約の聖徒を、イエス・キリストのみ言葉と十字架の贖いを通して、
生み出してくださいました。その目的を示す句は、私たちを被造物の初
穂にするためです。ユダヤ人にとっては、初穂には、主だったもの、選
りすぐりのもの、もっとも素晴らしいもの、という意味が有ります。私
たちを、被造物の中でもっとも素晴らしいものにしようとされた神が、
良い方でないはずがありません。私たちを神の民に加えてくださったこ
とが、神が良い方であることの最上の例と言えるでしょう。
まとめ)
私たちが試練に合っていると感じる時は、ヤコブの指示を思い出して実践する時です。
1)神の国の在り方を心に留めて試練を喜びと思う
私たちは命の冠を神の国で受け取る者です。その希望によって、私たちは試練を耐え忍ぶことができます。その希望を、心に留め続けましょう。
2)試練と誘惑を区別することによって試練を喜びと思う
私たちが直面する迫害や困難事態は、誘惑ではありません。この世の欲望を
満たそうとして、神から、信仰から離れてはいけません。耐え忍んで試練を乗り越え、忠実な者と証明されることを目指しましょう。
3)神が良い方であることを心に留めて試練を喜びと思う
神は良いお方です。一貫して私たちを天の祝福に導き続けておられます。最も素晴らしい恵みは、イエス・キリストを通して救いの道を確立してくださったことです。神は、私たちを、被造物の内で、最も素晴らしい者にしてくださったのです。
これらのことを心に留めて、試練を喜びと思いましょう。