礼拝音声
聖書箇所:詩編86:1-17
説教題:嘆願の祈りの土台
導入)
詩編86編は、嘆きの詩編の一つと言えるでしょう。ダビデは命を狙われていました。私たちにはそのような経験は無いかもしれませんが、岩の上に家を建てた賢い人の例話に出て来る洪水のように、私たちの人生にも繰り返し困難が訪れることがあります。その時に、どのように祈ると良いか、そのモデルをダビデの例から考えてみましょう。
本論)
1節-7節 祈りを聞いてください
ダビデは、神に願いを聞いていただきたいことを1節、6節で繰り返して述べます。理由が列挙されます。自分が力ない者であるから。自分が神のしもべであるから。絶え間なく神に呼びかけているから。そして、その願いの内容は、自分の魂を、命を救ってくださいということです。
ダビデは、同時に、神がどのような方であるかという理解を述べています。神はいつくしみ深く、赦しに富、恵み豊かな方です。また、祈りに答えてくださる方だとダビデは言っています。だから、神に祈り、聞いてくださいと訴えることができるのです。
8節‐10節 唯一の創造主だけが栄光を受けるべきである
先に、ダビデは神がどのような方であるかを述べ始めましたが、ここで、より中心的な神の御性質を言い表して、神に栄光を帰しています。信仰の中心的要素ともいえます。他の神々は主の前に無意味となります。また、国々をも創造された方ですから、すべての国民は主の前に来て礼拝しなければならないはずなのです。10節では、あなただけが神です、と締めくくっています。
11節-13節 神に栄光を帰するダビデの告白
この唯一であり、すべての国民が讃えるべき神の御心に従って生きようと心に定め、ダビデは、神の道を教えてくださいと告白します。心を一つにするというのは、他の神や力にもより頼もうとするような二心の状態にならないように守り導いてくださいということです。過去にも救い出してくださったことが有る神に感謝して、いつまでも神を崇めますという決意を示します。そのことが、神を認め、神に栄光を受けるべき方だと宣言していることになります。神を崇める、讃えるということが難しく感じられるでしょうか。神への感謝を言い表すことで、そのすることができます。
14‐17節 神に救いを求める嘆願
ダビデはここで、2節のしもべを救ってくださいという嘆願の祈りに戻って来ます。(16節)そうするにあたって、ここでは、ダビデは困難、敵の性質を述べています。神は全知ですから、ダビデが言う前からご存知なのですが、具体的に困難や敵の性質を神に申し上げる、神との交流に意味が有ります。敵の最も悪い特質は、神を認めていないということです。
ダビデは、神の性質についても再確認をします。5節で用いたのと同じ表現で、神は恵みとまことに富んでおられると言っています。また、聖書中では神に対してしか用いられない形容詞を使って、自分は敵とは異なり、神を認める存在なのだということを示しています。ダビデは、ここでも重ねて神に栄光を帰し、自分が神に忠実な者であることを示しています。
ダビデの願いの締めくくりは、神が介入して自分を救ってくださいということです。「はしための子」という表現を用いることで、ダビデは神との近い官憲を強調して訴えています。奴隷やしもべも家族と考えられ、より信頼できる者と考えられていました。ダビデは、私はあなたの家族のような近い存在ではありませんかと訴えているのです。皆様も、そのような気持ちで神に訴えて祈り、更に親密さを増し加えていこうではありませんか。
神が答えてくだされば、ダビデの命を狙う敵たちは、自分たちの計画が失敗することで、恥を見、また、神の存在を見ることになります。
まとめ)
どのように、ダビデの祈りに倣うことができるでしょうか。86編の構造に注目して考えてみます。
この詩編の中心に来る考え、表現は、神が唯一であり、創造者であるということです。すべての国民が崇めるということから、これをメシア預言の一つと考えることもできます。はっきりと神がどのようなお方であるかを確認し、信じていることがこのような祈りの生活に欠かせない要素だということになります。
次に、ダビデは、神の御性質の中の「恵みとまことに富む」と言う部分を、5節15節で繰り返して確認しています。私たちも、神の御性質を知り、理解し、そのことを土台として祈ることが大事です。
ダビデの嘆願の祈りの土台をまとめてみます。
1)神への信頼
唯一の神であり、恵みとまことに富む方であり、答えてくださる方だと信じて祈ることです。
2)自分が神のしもべであるという自覚
神のしもべであることをダビデは繰り返し述べています。また、神の助の必要な存在であることを述べています。自分が神に誠実であり、神に栄光を帰してほめたたえる存在だという自覚を示しています。
3)困難や敵の理解
ダビデは、自分の敵がどのようなものであるかを理解し、それを神の前にも示して祈っています。私たちの問題や困難は何でしょうか。霊的な敵との戦いになっている場合もあるでしょう。それをはっきり確認しながら祈ることです。