礼拝音声

聖書箇所:伝道者の書 8:1-15
説教題:だれが知恵ある者にふさわしいだろうう

導入)
  伝道者の書は、全ては空であるという衝撃的な導入から始まります。本日の朗読箇所にも、そのような考えが含まれているように思われます。しかし、それがこの書の結論であるならば、全体を読む意味は無いのではないでしょうか。すでに結論が示され、世間はそのようなものであることは、私たちにもわかっているからです。彼がこの世の様子を観察して得たものを私たちに伝えようとしていることが、9節からわかります。ソロモンが伝えようとしていることを、確認してみましょう。

本論)
この箇所の主題への導入(1節)
  導入となる疑問は、「だれが知恵ある者にふさわしだろう」というものです。その答えは、直接的、明白に語られてはいません。知恵のある者は少ないことを示唆しているように思えます。しかし、知恵を得れば、その人の顔を輝かせ、その顔の固さをやわらげるというのです。生活において、自信と喜びや平安を与えるということでしょう。

知恵ある者の資質(2節―6節)
1)神を畏れ、神に従うこと
  王への従順を進める言葉が書いて有るように見えますが、ソロモンは、王の背後におられる神に目を留めています。2節には、王に従う理由は、「神の誓約があるからだ。」と説明されています。王は任職の油注ぎを受ける時に、律法に従って神の民であるイスラエル人を治めることを誓約し、民は、神が立てた王を支援することを誓約したからです。
2)時とさばきを知っていること
  裁きという語は、神の決定という意味も有ります。神の御心を知っていると考えることもできます。神の御心は律法に、また、私たちにとっては聖書に記されています。私たちが熱心に聖書を通して御心を求め、神に従う時、私たちには良い判断が与えられます。そうなれば、神の御心の時に御心に適った行動を取ることができるのです。
  ここでは、ソロモンは、神が統べ治めておられ、神を離れて悪を行おうとする者に、罰を与えることも記しています。しかし、知恵ある者は、神の御心を知っているので、そのような目に遭うことがないのです。

人間の無知、無力(7節-8節)
  ソロモンは、人がどうして知恵を必要としているかを述べているようです。それは、人が無知で無力だからです。自分を救うことができる人はいないのです。特に、死に打ち勝つことはできません。「悪は悪の所有者を救いえない。」というのは、人間的な努力は人を死から救うことはできないということです。人は、時には長生きするために、より良い生活をするために、不正を働いて他人を蹴落とすようなこともするかもしれませんが、それで、死を免れることはできません。私たちの罪が、私たちの死の原因なのです。
  天変地異を体験することも有りますが、私たちは、風を支配することもできません。
  この、無知、無力の故に、人には知恵が必要であり、救い主が必要なのです。私たちは、神を知り、神の知恵をいただく必要が有ります。それに従う時、私たちは、罪を離れ、自力に頼ることを離れ、神に従い、委ねることになるのです。

この世は空しさに満ちている(9節‐14節) 
  ソロモンは、彼が観察したことを並べ立てています。悪者がたたえられ、正しい者が忘れ去られたりすること。悪い者がなかなか罰せられないこと。悪い者が長生きすることがあること。悪者が、正しい者の受けるべき報いを受けることがあること等が述べられています。
  しかし、ソロモンが言おうとしていることは、違うところに有ります。空しいと思われる事柄を並べ立てるその真ん中に、叩き込むように、12節、13節には、「神を恐れる者も、神を敬って、しあわせである」、「悪者にはしあわせがない」と言って、その確信を述べているのです。それこそが、知恵ある者の有様なのです。

知恵ある者は、空しさに満ちた世でも、神の恵みの生活を楽しむ(15節)
  知恵のある者は、全能の神を恐れ、神の御心をもとめ、自分が無知で無力なことを認め、神の救いと守りを求めて生きる者です。神への信頼のゆえに、平安に生きる道を知っています。

  
まとめ)
  だれが知恵ある者にふさわしいか。知恵ある者の特質は次のようにまとめられると思います。

1)知恵ある者は神を恐れる
  知恵ある者は、神に従い、罪を離れる。
  知恵ある者は、神の御心を求め、時とさばきが有ることを知っている。
  知恵ある者は、神の権威を知っている。

2)知恵ある者は救い主が必要なことを知っている 
  知恵ある者は、自分が無知で無力であることをわきまえている。
  知恵ある者は、罪は神にしか贖うことができないことを知っている。

3)知恵ある者は空しさに満ちた世でも生活を楽しむ
  知恵ある者は、悪者がはびこるように見える世でも、神に信頼する。
  知恵ある者は、神と神の恵みに感謝して生きる。
  いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する生活をすることができる。