英語部との合同礼拝でした。音声はありません。
聖書箇所:ルカ24:13-27
説教題:預言者たちの言ったすべてを信じなさい
導入)
二人の弟子がエマオに向けて歩いていました。彼らの心の状態はどんなものだったでしょうか。17節を見ると、イエスの質問に対して、かれらの顔が曇っていることがわかります。彼らは復活を喜ぶ状態にはなかったことになります。
本論)
彼らは、道々話し合っていました。その内容の中心は、朝、イエスの墓を見に行った女性たちの証言についての議論であったと思われます。イエスは、弟子たちにご自身の受難、死、復活を預言しておられました。しかし、彼らの頭には、復活の教えは思い浮かばなかったか、もしくは信じられなかったかのでしょう。
イエスの彼らに対する言葉は、かなり厳しいものだったと思われます。愚かだという語は、知性が低い、理解が乏しいという意味の言葉です。それから、イエスは、律法と預言者を通して、つまり、旧約聖書を通して、メシア、救い主がどのような存在で、どのような経験をしなければならないかを説明しました。この先の44節では、詩編を加えて述べていますが、どちらも旧約聖書という意味になります。イエスの受難と復活は、旧約聖書の預言を通して教えられ、信じられなければならないということが言えます。聖書がイエスを証しており、イエスについての知識の源になっているのです。
参考になる聖書箇所を挙げておきます。受難については、詩編22編16節―18節、イザヤ53章9節などが預言になります。また、復活については、詩編16編8節―11節、イザヤ53章10節を参照してください。イエスの復活の預言について読む時には、詩編22編、イザヤ53章が参考になることを記憶しておくと良いでしょう。
まとめ)
エマオの途上での、イエスと二人の弟子との対話から学べることは何でしょうか。今回は、次の三つをお示ししたいと思います。
1)聖書の言葉を知り、信じること
神からの啓示が無ければ、私たちは神に属することを知ることも理解することもできません。また、神の恵みを受けるためには、神の言葉を信じなければなりません。
2)イエスは全ての旧約の預言を成就されたこと
旧約のメシア預言に親しみ、イエスの復活を信じることです。クリスチャンを迫害したパウロが改心して、イエスの福音を宣教する者になったことも、今日私たちが復活を信じることができる根拠の一つと言えるでしょう。
3)神に心を開いていただけるように願うこと
イエスが弟子たちに語る時、45節では、彼らの心を開かれたことが記されています。私たちは、神の心開いていただかなければ理解できない世界が有るのです。日々の生活の中でも、神の心開いてくださるように、折に触れて祈り願うのです。