礼拝音声
聖書箇所:1テサロニケ 4:13-5:11
説教題:希望の要素
導入)
パウロは、3章11節で、テサロニケの信徒の信仰の不足を補いたいと言っています。今回の聖書箇所は、パウロが急いで補いたいと思っていた不足部分として書いたものの一部ではないかと思われます。4章13節から察すると、彼らは、主の日、再臨の日に生きているクリスチャンだけが復活するという主張に触れて混乱していたのではないかと思われます。パウロは、キリストに在る希望はどういものかを、思い起こさせようとしています。この箇所で示されている希望の要素を、確認してみましょう。
本論)
1)希望の知識
14節で、パウロは重要な希望の土台となる原則を示しています。キリストの死と復活は、キリスト教の中心的な教義の一つです。キリストの復活には次の三つの意義が伴います。1)キリストは神の御子であることを示すこと。本当に神の御子であれば、死んで滅びてしまうことは有り得ないのです。2)キリストは旧約聖書の預言の成就であることを示すこと。3)キリストはキリストにあって死んだ者たちの初穂であること。(1コリント15:20-22参照)それは、キリストの復活と同様に、我々も死後の復活を経験するということです。パウロは、このことを、1コリント15:3-4でも、「最も大切なこととして伝えた」ことの一部として示しています。初穂ということは、その後に続く収穫が有るということであり、キリストに続く復活をする人々がいるということです。
希望の知識の続きとして、パウロは、主の日に起こる出来事の順序を説明しています。1)イエスキリストが天から下って来ます。号令とかラッパの響きというのは、キリストの勝利と聖徒が召集されることを示しています。2)キリストにあって死んだ者がよみがえらされる。3)生きている聖徒が天に携え上げられる。この記述は、既に亡くなっている聖徒はよみがえらないのではないかと思っていた人たちには、安心と慰めになったことでしょう。
2)希望の適用
キリストにある希望の知識は、テサロニケの信徒の中で肯定的に作用しなければなりません。18節でパウロが命じているように、先に説明された知識に基づいて慰め合うという実践が必要になります。慰めるという語は、励ますと言う意味も有ります。また、それは、「このことばをもって」、すなわち聖書的な知識を分かち合ってということになります。具体的には14節から17節のパウロの説明になります。そこに示されている私たちの信仰の希望の土台となる原則を心に留め、互いに励まし合うことが必要です。今日の私たちの実践としては、聖書を読み、集会や祈祷会の交流の中で励まし合うことです。パウロは、この命令を5:11でも繰り返しています。用いられている動詞は同じものです。更に付け加えて、「徳を高め合いなさい」という指示をしています。原文では、「建て上げる、人格を建て上げる、教化・啓発する、励ます」という意味を持つ語が用いられています。
3)希望に関する警告
良い話には、警告が伴っている場合が多く有ります。パウロは、希望に関連する主の日、再臨についての警告をしています。テサロニケの信徒たちは、聖徒のよみがえりについては誤解をしていましたが、主の日の到来の有様については十分に理解していたようです。(5:2 参照)3節では、その到来を「滅び」と表現していますが、それは、信仰の無い人たちにとってそうだということです。4節、5節は、そういう人たちを霊的な暗闇、夜にいるという表現をしています。一方で、クリスチャンは、備えができている必要が有ります。目をさましているようにという警告が与えられていますが、どうしたら良いのでしょうか。答えは8節に出ています。先ず、愛と信仰にますます励むことです。(4:1、4:10参照)その実践が「胸当て」と表現されています。それが、クリスチャンの生活を守るのです。ローマ兵が用いていた胸当ては、首から腰までを覆うもので、殆どの臓器を守っていました。次に、信仰の希望の土台に目を向け続けるということです。それが、救いの望みをかぶととしてかぶるということです。思考の領域への、不信仰の言葉等の攻撃から守る姿勢を示しています。今回の聖書箇所から言えば、4:14や5:9の、よみがえりや救いの言葉をを思い起こして、不信仰、悲しみ、心配などを追い出すことになります。パウロは、「互いに」という言葉を繰り返しています。私たちは、一匹オオカミではないのです。私たちは、聖書の言葉によって互いに建て上げる者たちです。
まとめ)
1)希望の知識
確認した、イエスのよみがえりと救いの教えは必須の知識です。キリストのよみがえりと、聖徒のよみがえりを信じていますでしょうか。救いと永遠にキリストと共に過ごすことを信じていますでしょうか。ベタニヤのマリアが、キリストに香油を注いだ時、イエス、この女のしたことは、福音が語られるところではどこででも覚えられると言われました。それは、マリアが復活の信仰を持っていたからです。私たちも同様に復活の信仰を保持していきましょう。
2)希望の適用
キリストにある希望の知識は、私たちを力づけるものでなければなりません。私たちは、聖書の言葉によって、自分を、また、互いに励ましていかなければなりません。聖書の言葉は、初代教会の聖徒達が迫害に耐える力を与えました。
3)希望に関する警告
私たちはキリストにある希望に深く根差した信仰生活をしなければなりません。パウロは、聖徒達に、ますます信仰と愛に励むように命じています。また、心に聖書の言葉を蓄えることを求めています。聖書の言葉によって、イエスによる救い、イエスのよみがえりと聖徒のよみがえりを、いつも思い起こしましょう。私たちの望みはイエスにのみ見出されるのです。