礼拝音声
聖書箇所:1テサロニケ2:17-3:5
説教題:信仰の試練の対処法
導入)
パウロはテサロニケの信徒の経験している迫害を念頭にこの箇所を書いています。パウロの伝道チームはテサロニケで三週間伝道をして、教会を開拓しました。しかし、妬みにかられたユダヤ人たちが暴動を起こし、テサロニケの信徒にも迫害を加えたので、間も無くテサロニケを去らなければなりませんでした。(使徒行伝17章5,6節参照)テサロニケの信徒と過ごした時間が短かったことを思い、パウロは、彼らを励ますために、テモテを送り返すことを決めました。この箇所から、キリストへの信仰に関わる迫害や困難への対処を確認してみましょう。
本論)
1)私たちは迫害を受けるように定められていることを意識しなければならない
3:3 において、パウロはテモテを送った目的を述べると同時に、迫害に関する警告についても思い起こさせようとしています。キリストも同じ語を用いて、従う者には困難が有ることを述べています。(ヨハネ16:33 参照)これらのみ言葉を通して、私たちは迫害に対する免疫を持っていなければなりません。3:4 では、迫害が現実に起きていたことが示されています。私たちも、同様に、み言葉で、迫害に対する武装をして準備ができている必要が有ります。
2)私たちは対面での交流をする努力をしなければならない
神は人間を社交的存在として創造されました。人が欲するものは人の変わらない愛だということが箴言19:22 には示されています。ですから、完全に神であり、完全に人であるイエス・キリストが私たちを救うために来てくださったのです。キリストを土台とした教会のために、へブル10:23-25も、信徒が集まりを怠らないようにと指示しています。そのようなわけで、パウロ自身もテサロニケの信徒と直接会うことを切望していました。(2:17)反対勢力からの強い抵抗が有ったために、パウロはテサロニケに行けませんでしたが、代わりにテモテを送りました。私たちも、集まって顔を合わせて学び合い、助け合うべきであることを心に留め、日曜礼拝や祈祷会に出席するように心がけましょう。
今回の聖書箇所では、サタンに関する記述が二回出て来ます。一つ目は、2:18はです。実際にパウロによるテサロニケ訪問を妨げたものが何かは明確ではありません。しかし、それが敵対するユダヤ人たちでも、迫害するテサロニケ人たちでも、その他の状況であっても、福音や信徒の交流を妨げる働きの背後にサタンがいると考えられます。もう一つは、3:5で、誘惑者という表現で出て来ます。その動詞形は、罪を犯すように誘うという意味が有ります。キリストによる種まきの例えでは、まかれた神のみ言葉を取り去ることがサタンの働きの一つとして示されています。サタンは信徒を教会の交流から遠ざけ、聖書の言葉から意識をそらせ、罪に誘うのです。ついには信仰を失うことも出て来るので、パウロは心配しているのです。私たちは、霊的な成長と祈りのために集まりを保ち、それによって、そのようなサタンの働きの影響を避けなければなりません。
3)私たちは、福音の言葉によって強められ、励まされなければならない。
テモテが派遣された目的は3:2-3に示されています。一つ目は、テサロニケの信徒たちを強くすることでした。強め、と訳された語は、固定する、動かなくするという意味が有ります。パウロは、彼らの信仰が揺るがされないものになるようにしたかったのです。二つ目は、彼らを励ますことでした。励まし、と訳された語は、傍らに呼び寄せる、激励する、慰めるという意味が有ります。パウロは、彼らが信仰の歩みにおいて、動機づけられ、慰めを得て欲しいと思ったのです。
パウロは、その強さと励ましの源にも言及していると考えられます。2:9では、パウロ達が苦闘して福音を伝えたと述べられていますが、その一員であったテモテが再度テサロニケに送られるにあたって、3:2では、キリストの福音において同労者である、と述べられています。つまり、強さと励ましの源は、キリストの福音の言葉だということになります。福音の言葉とは、神の御子イエス・キリストが信じる者に罪の赦しを与え、永遠の命に入れてくださるという恵みの知らせです。そのことが3:19では、イエスが再び来られる時、という表現に中に含まれています。これらのことを、全てのクリスチャンは信じていなければなりません。それが、私たちが持っていなければならない希望です。