礼拝音声

聖書箇所;1テサロニケ2:13-16
説教題:神の言葉の働き

導入)
  13節には、神の言葉がテサロニケの教会の人たちの中で働いていることを喜んで、感謝の祈りを捧げていることが記されています。神の働きに注目して確認してみましょう。

本論)
1)神の言葉働きは、それを受け入れた人の中に働く
  どんなに正確な聖書や教理の知識が有っても、神の言葉を受け入れていない人には、その働きは有りません。テサロニケのクリスチャンは、神の言葉を受けれて、その働きが進みました。
  その過程が記述から判ります。先ず、彼らは神の言葉、福音を聞きました。次に、それを受け止めました。それは、強く個人的に自発性をもって受け止めたという語感の有る言葉です。そして、ついに、それは、喜んで受け入れるところまで進みます。その語は、神を歓迎し、救いと神の御心を他人と分かち合うことを含意するものとして、新約聖書では用いられています。彼らの信仰生活が、マケドニヤやアカヤの教会の模範になっていることが、1章7節に示されています。


2)神の言葉の働きは、信じる者をキリストの身体に組入れる
  14節では、テサロニケの教会の信徒たちが、母教会と言えるユダヤにある諸教会に倣う者となったことが示されています。それは、彼らがキリストに倣う者となることをも含んていました。それによって、彼らは、キリストや母教会のように、迫害にも耐える信仰を保持する者たちとなり、キリストの体なる教会に、一緒に建て上げられている姿を見ることができます。

3)神の言葉は、拒絶するもに神の怒りをもたらす
  15節からの内容は、具体的にはキリスト教に反対するユダヤ人たちのことです。しかし、私たちは、もっと普遍的霊的原則を読み取るべきです。キリストやその到来を預言した者たちを殺したということは、神の言葉、福音の言葉を拒絶してということです。更に、その具体的な現れの一つとして、パウロや同労者を宣教地から追い出したことが記されています。
  そのような態度は、神の喜ばれるものではありません。その態度は「すべての人の敵となった」と表現されています。ヨハネ3章16節では、信じる者は誰でも救われるということが示されています。そのメッセージが、人々に伝えられることを妨げる働きをしていたんですから、すべての人の敵となったと考えられても仕方ありません。彼ら態度は、「お前たちみんなに滅びて欲しい」と言っているのと同様だったからです。
  そのような態度は、極みまで罪を重ねるというようなものです。神の怒りは既に彼らの上に臨んでいるという表現になっています。それは、そのような人物には、神の祝福は既に取されれているということとして理解することができそうです。
  繰り返しになりますが、これは、反ユダヤ主義的な理解をしてはいけない部分です。