礼拝音声
聖書箇所:1 ペテロ1:3 - 9
説教題:信仰の希望がもたらすもの
導入)
本日は第四アドベント日曜日です。アドベントの精神を、今回は1ペテロから確認したいと思います。難しいもしくは厳しい状況に直面している時は、希望を持つことが大事な要素です。スポーツは困難で厳しい訓練の先には、競技会で前よりも良い成績を残せるという希望を持っているので、それを耐えることができます。キリスト降誕の時のユダヤ人たちも、彼らに好意的ではないローマの支配下に有り、メシアの到来を待ち望んで耐えしのんでいました。神の預言は必ず成就するという希望と持って生きていたのです。今日、私たちはキリストの再臨を期待して生きています。アドベントと希望の要素を確認してみましょう。
本論)
先ず、アドベントの要素の希望について確認します。一つ目は、神と共に生き得る永遠の命の希望です。(三節)二つ目は、それに伴う、天に蓄えられている受け継ぐべき資産が有るという希望です。(四節)これらの希望は私たちに何をもたらすのでしょうか。
1)信仰の希望は神の力による守りをもたらす(5節)
守りと訳されている語は、英語ではshielded というもので、防御されているという語感です。原義は、軍隊によって守られているというものです。強力に守られていることがイメージできます。そして、その守りは万軍の主である神から来るのです。
2)信仰の希望は喜びをもたらす(6節)
私たちの霊的な源は、創造主なる神です。私たちは、自身の価値を、「あなたは私の目には高価で貴い。だから、キリストを遣わして身代わりにしたのだ。」と言ってくださる神に見出すのです。その関係に基づいて、永遠の命と永遠の相続が有るという希望が、喜びをもたらさないはずが有りません。
ペテロが手紙を書き送った教会の人たちは、迫害を経験していましたが、この希望と喜びの故に、それを耐え忍ぶことができたのです。しかも、そのように耐え忍ぶことが、来るべき日には、賞賛と光栄と栄誉になるというのですから、ますますその喜びが増し加えられるのです。(7節)6節の「大いに喜んでいます」という表現と8節の「喜びにおどっています」という表現は、同じ言葉が用いられています。しかし、8節では、「ことばに尽くすことのできない」「栄に満ちた」という表現が加えられて、更に喜びを強調しています。
3)信仰の希望は神への愛をもたらす(8節、9節)
信仰の希望は、それを与えてくださった神への愛をもたらします。神が、私たちを滅びから救い出してくださったからです。その偉大な恵みの故に、ペテロの手紙を受け取ったクリスチャンたちは、イエスと顔を合わせたことは無かったのですが、イエスを愛していました。同様に、私たちも、信仰と聖霊の働きによって、一度も顔を見たことのないイエスを愛しているのです。ペテロは、そのような愛を持っていることが、魂の救いを受けている証明なのだと述べています。魂の救いを受けているという部分は、進行時制で、天国という信仰の完成に向けて前進していくイメージになっています。
まとめ)
信仰の希望がもたらすものを自覚して、イエスの再臨を待ち望んでいる、私たちのその態度が、アドベントの態度でもあるのです。