本日の礼拝ビデオ
聖書箇所:マタイ13章53節~58節
説教題:イエスにつまずかないために
イエスの教えに対する反応は二種類でした。ある人たちはその教えを聞いてイエスはメシアだと信じ、更にはイエスの弟子となる人もいました。一方で、パリサイ人や律法学者や、イエスを十字架に着けるように要求した群衆は、それを拒絶しました。今回の聖書箇所には、種まきのたとえにおける、道端のような心の実例が出てきていると考えられます。この人たちのように、イエスにつまずかないようにするために心がけるべきことは何かということに心を留めながら、この箇所のポイントを確認してみたいと思います。
1)不信仰は私たちを神の業と恵から引き離す
イエスの故郷であるナザレの人々は、イエスの教えが知恵に満ちていることや、しるしとしての奇跡がなされたことを理解しました。それでも、彼らの不信仰が神の国の福音から彼らを引き離してしまいました。
2)イエスを人間的な視点からではなく、聖霊を通して理解する
サムエルが神に命じられてダビデに油を注ぐ前、彼は外見的な印象から、兄のエリアブの方が神の選んだ人物だと思いました。しかし、神はサムエルに「神は心見るのだ」と警告されました。私たちは神の基準で物事を見なければならないのです。ナザレの人々はそれができませんでした。イエスが自分と変わらない同じ村の出身だとか、どこの学校で学んだのかもわからないという人間的基準で判断して、イエスを拒絶しました。私たちは、聖霊の導きと聖書の教えによってイエスを判断するのです。
3)神の国の知識という宝を求め、蓄え続ける
マタイ7章7節では、「求めなさい。そうすれば与えられます。」と記されています。それは、神の国のことを指して述べられています。私たちが探し求めれば見出すことができます。そのようにして神の国の知識をも求めていくのです。それもイエスのたとえに出てきた宝の一部と言えます。それを蓄えていくのです。それが自分を強め、仲間を励ます力にもなります。