本日の礼拝ビデオ
聖書箇所:エステル2章
説教題:不敬虔な社会にも働かれる神
導入)
先日は1章から神にない人々の態度を確認しました。そのような中でも神はご自身の計画の成就のために働いていらっしゃることも確認しました。同様に、神のそのような働きは2章においても示されています。
本論)
2章の出来事は、ワシティの追放から3,4年経ってからのことと考えられます。この間アハシュエロス王はギリシャに侵攻して敗れて撤退してきました。そして、追放した王妃のことを懐かしみ始めていたのかもしれません。王の側近は、ワシティの追放を進言したことで王が怒り出しはしないかという心配をしていたのかもしれません。早速次の進言をしました。それは、美しい女性を集めて、王の心にかなう女性を新しい王妃にしようというものでした。(2節~4節)肉欲が強かったようで、王はその進言を受け入れました。(本来王妃を娶る場合は、貴族の出の女性から探すものでした。)
ここで、記者はモルデカイとエステルを紹介します。モルデカイはベニヤミン族の出身で、第二バビロン捕囚の時にエコヌヤ王と一緒に連れてこられたキシュの子孫でした。クロス王の時代にユダヤ人は帰還が認められていたのですが、モルデカイは帰還しませんでした。そこにも神様の配剤が有ったと考えられます。7節に有るように、歳の離れたいとこであるエステルを引き取って養育していました。好人物であったと考えて良いのではないでしょうか。
エステルは姿も顔立ちも美しかったということで、アハシュエロス王の妃の候補として集められることになりました。注解によれば、三百人から四百人からの女性が集められたということです。それは家族にとっては悲しい出来事でした。一旦召集されれば、女性たちは二度と家に帰ることはなく、王宮に妾として一生とどまらなければなりませんでした。それは非人間的なことでした。しかし、人々は王に逆らうことはできませんでした。
ユダヤ人であったエステルにとっては、これは更に難しい状況でした。律法では結婚外の性関係は禁じられていましたが、エステルはそれを避けることができない状況でした。10節では、モルデカイの助言によってエステルは自分の出自を隠していましたから、場合によっては律法で禁じられた食物を口にしなければならない場面も有ったかもしれません。
このような難しい状況でも、神は世話係のヘガイの心を動かして、特別扱いを受けるようにしました。7人の侍女をつけて一番良い部屋をあてがいました。(9節)このことを通してと思われますが、モルデカイは王宮に入れる官職を与えられたようです。普通は入ることのできない婦人部屋の庭に毎日でかけてエステルの様子をさぐっていました。
12節~14節は集められた女性が何をするのかを説明しています。王に会うまでに1年の準備期間が有りました。宮廷の作法も学んだことと思われます。このような準備をさせるのには相当の資金が必要であったと思われますが、王は頓着しませんでした。ここに王と側近の愚かさや罪深さを見ることができます。
15節~17節では、エステルの慎ましさが見受けられます。また、ここにも神の手の介入を見ることができます。他の女性たちは自分を引き立てるためにいろいろな物を要求したと思われますが、エステルはヘガイが勧めた物しか身に着けませんでした。そんなエステルは、会う人すべての好意を得ました。それは、アハシュエロス王も例外ではありませんでした。彼の喜びは相当なもので、大きな宴会を開き、休日を与え、贈り物を配りました。それは借金の棒引きや税金の免除も含まれていたかもしれません。
このようにしてエステルは正式に王妃になりましたので、神は彼女が性的な面で律法を犯すことの無いようにしてくださいました。
エステルが王妃となったのは神の計画の一部に過ぎませんでした。この後もう一つの重要な出来事が起きます。19節にはモルデカイが王の門のところにすわっていたことが記されています。門は裁判が行われるところであり、モルデカイは裁判官に任命されていたことになります。そこで彼は二人の宦官がアハシュエロス王暗殺の話をしているのを耳にしました。彼らがどうして王のことを怒っていたのかは定かではありません。一説によると、彼らは前の王妃ワシティに近い者たちで、王がエステルを王妃にしたばかりでなく、19節にあるように、更に妾を集めたことがワシティへの侮辱であると思ったからではないかと考えられるということです。モルデカイはエステルを通してこの陰謀を通報しました。彼らは追及されて、その事実が明らかになったので、彼らは死刑になりました。「木にかける」という語は、木に釘で打ち付けることや、直接木にくし刺しにすることを意味する語です。大事なことは、これが王の前の年代記の所に記録されたことです。これが、後に大事な要素となります。すべてが神の計画の中で進められたことだと考えることができます。
まとめ)
私たちもモルデカイとエステルのように不敬虔な社会に暮らしています。私たちの信仰の自由を制限しようとする人たちもいます。アハシュエロス王のように自己中心で残酷な人たちもいます。私たちクリスチャンが生き辛く感じるような瞬間も有るでしょう。そのような時には、神がご自身の栄光とご自身の民のために今も働いていることを覚えましょう。このような社会に生きている私たちはどのようなことを心掛けたら良いのでしょうか。
1)私たちは神を信頼し、失望しないこと
モルデカイとエステルが王の法令を聞いた時、彼らは失望したかもしれません。しかし、彼らは神を信頼して、そのような状況に抗うことはしませんでした。神は彼らを守り、より良い環境を与えられました。私たちの社会では、クリスチャンにとって不利な法律が制定されることや、クリスチャンにとって好ましくない政党の議席が多くなったりすることが有るかもしれません。そういう時でも、神はご自身の栄光のために働いておられることを信じ、信頼するのです。
2)私たちはどんな場合でも互いに良い関係を保つこと
モルデカイは必ずしもエステルを養育しなければならない人物ということではなかったと思います。しかし、彼はエステルを引き取って父親として養育しました。彼はエステルから尊敬を得ていました。エステルはモルデカイの言いつけを守っています。また、アハシュエロス王暗殺計画がわかった時には、王とエステルを守るために通報をしています。私たちはどのような状況にあっても、相手が誰であるかを問わず良い行いをすることが必要です。
3)私たちは虚栄を退け、謙遜に生きること
エステルはヘガイが勧めるもの以外には何も求めませんでした。彼女はヘガイとアハシュエロス王の好意を得ました。使徒ペテロは「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」と言っています。(1ペテロ5章6節)
神が不敬虔な世を通しても働いておられることは、イエス・キリストの十字架の贖いの業にも表れています。一人が死ぬことが全体の益となるとカヤパが言い、銀貨でユダがイエスを裏切り、ピラトが押し切られてイエスを十字架につける許可を与えました。すべて不信心な人々の働きでしたが、このことを通して神の救いの業が完成したのです。