前のエントリーに書きました通り、アンとダイアナは親友です。腹心の友という表現が使われていたりします。このダイアナのことは、養父となるマシュー・カスパートが初めてアンに会った日、グリーン・ゲイブルズに向かう途中に紹介しています。その時のマシューが語るダイアナという名前の印象は、「罰当たりな異教徒のように聞こえる」 “There’s something dreadful heathenish about it, seems to me.”というものでした。聖書に慣れ親しんだ人ならば、ちょっとニヤリとする場面かもしれません。
ダイアナというのは、ローマ神話の女神です。狩猟、貞節と月の女神だそうです。聖書にはダイアナは出てきません。その代わりに、ギリシャ神話でダイアナに相当するアルテミスが出てくるのです。アルテミスも狩猟、貞節と月の女神ということなのですが、聖書に出てくるアルテミスは様子が違ってきます。
聖書に出てくるのは、もっと地方色の強いもので、エペソのアルテミスです。ウィキペディアや聖書辞典に出てくるエペソのアルテミスの画像は、多数の卵型の装飾を胸の周りに配置した衣装をまとっています。それは、乳房と理解されることが多く、多数の乳房を持つ豊穣の女神として知られているようです。エペソには立派なアルテミス神殿が有ったということです。天から下ってきたと言い伝えられるご神体が祀って有ったということです。神殿には神殿娼婦がいて、それが性的な乱れにつながったという解説も見出されます。
そんなイメージにつながるわけですから、マシューがダイアナという名前に異教徒のように聞こえるという感想を述べたのも仕方ないことだったのかもしれません。ですから、第15話で、アンがマリラに向かって「私、ダイアナを崇拝しているの。」などと言った時には、マリラは何の反応もしていませんが、ぎょっとするような感じを与えたかもしれません。英文では”I adore Diana.”となっています。adoreという英単語の第一義は「神をあがめる」ということですから、そういう表現も罰当たりな響きが有ったのではないかと思います。そして、この表現が、この直ぐ後の騒動の前触れになっているのではないかと私は思います。
騒動というのは、夏の間よそに行っていたギルバート・ブライスが帰ってきて、久しぶりに登校し、初対面のアンの赤毛を「ニンジン、ニンジン」と言ってからかったことから始まります。怒ったアンは、石板を彼の頭に叩き下ろして割ってしまうのです。当然クラスは大騒ぎになり、先生に叱られたアンは、黒板の前に立たされることになります。この後、アンは何年も(5年ぐらいになるでしょうか)ギルバートと冷たい関係になりました。
なぜダイアナを崇拝しているというアンの発言が、騒動の前触れのように思われるかは、聖書に出てくるエペソのアルテミスに関連する記述を知らないとわかりません。使徒行伝19章23節から41節にその記述は出てきます。 聖書の記述はこちらからご覧いただけます。
エペソでは、銀細工のアルテミス神殿の模型が販売されており、巡礼者が土産に買って帰ったりして、職人達がかなりの収入を上げていました。日本的に置き換えると、例えば、伊勢神宮とか出雲大社のような有名な神社の銀製の模型が大人気で、巡礼者が買って帰るようなイメージだと思います。しかし、使徒パウロがキリスト教の布教、伝道をしたところ、多くの人が改宗したことで、職人たちが危機感を持ち始めたのです。キリスト教は偶像崇拝を禁止していますから、そんな教えが広がれば、アルテミスのお膝元と言えるエペソでは大問題なわけです。銀細工人のデメテリオという人物が、人々を集めてその危機感を訴えたものですから、町中が大騒ぎになりました。人々は二人のキリスト教徒を捕まえて、町の中心に有る劇場になだれ込んで、二時間も「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び続けたそうです。ようやく町の書記が出てきて、引きづりこまれた二人には明確な罪状が無いばかりか、この騒ぎの方がむしろ騒擾罪に問われるかもしれないし、その場合議会は市民を弁護できないと説得して人々を解散させて、ようやく騒動は治まりました。この騒動のせいで、使徒パウロは、三年ほど滞在していたエペソから出ていかなければなりませんでした。
「ダイアナ(アルテミス)を崇拝している」という聖書的イメージがお分かりいただけたでしょうか。アンがギルバートの脳天に石板を打ち下ろすという事件を、エペソの騒動と関連付けるのは大袈裟かもしれませんが、アボンリーという小さなコミュニティーのまた更に小さな子供たちの間の騒ぎとしては、十分それに匹敵する騒動だと言えるのではないかと思います。