聖書箇所:ルカ21章20節~28節
説教題:贖いが近づいたから
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導入)
 この箇所は、5節から始まる神殿をめぐるイエスの教えの続きです。ここでも、エルサレム崩
壊とこの世の終わりについて述べられています。20節から24節までがエルサレム崩壊、25節から
28節までがこの世の終わりについてです。

本論)
 エルサレムは実際に西暦70年にタイタスに率いられたローマ軍に包囲され、陥落しました。多
くのユダヤ人がエルサレムの神殿に逃げ込んだそうです。神殿に入れば守られると考えたのだと
思われます。しかし、神殿は崩壊し、多くの人が命を落としました。一方、クリスチャンは、こ
のイエスの言葉を信じ、守ったので、近くの山々に逃げて命を保ったということです。神殿、も
しくは建物に信頼した人々は命を失い、イエスの言葉を守ったクリスチャン達は命を保ったとい
うことに、霊的な原則を見ることができます。
 22節、23節の記述から、このエルサレム崩壊は神の裁きであったことがわかります。それは、
1列王記9章6節、7節等の預言の成就と考えられます。イエスもこのような警告を何度かして
おられます。(19章43節、44節参照)人々が罪のうちに留まり続けるならば、神の慈悲や忍耐は
いつまでも続くものではないのです。この歴史的事実は、私たちにも最後には神の裁きの時が来
ることを示しています。私たちも悔い改めて救われている必要があるのです。

 25節からの世の終わりの記述には、私たちの想像を超えることが起きることを予感させます。
そのようなことは起こりえないだろうと思うかもしれません。それでも大地震のニュースを聞く
とその被害の大きさに驚かされます。人々が何年、何十年もかけて家を建て、産業を興し、町を
作っても、ほんの短い時間でそれが破壊されてしまうのです。そして、それよりも遥かに大きな
災害が起きるかもしれないのです。人々は不安になり、いろいろ心配するでしょう。
 27節から、イエスは再臨について語ります。イエスが最初にこの世に来られた時は、謙って
赤子の形をとって来られました。しかし、再臨の時には栄光に包まれてやって来られるのです。
雲に乗って来られる表現が有ります。聖書においては、雲は神の栄光の象徴でもあります。モー
セがユダヤ人を率いて荒野を進む時、雲の柱が彼らを導きました。モーセが十戒を刻んだ石の板
を受け取った時、シナイ山の上には厚い雲がかかっていました。新約聖書では、雲はイエスに関
わっています。山の上でモーセとエリヤがイエスに現れた後彼らが姿を消す前に彼らは雲におお
われました。イエスが天に昇られる時、雲に包まれました。そして、イエスが再臨する時には、
同じように雲に乗って来られると天使が弟子たちに告げました。
 雲がイエスの栄光に関わるということですが、イエスの栄光を軽く考えてはいけません。へブ
ル12章21節では、神の栄光にモーセが恐れおののいたことが示されています。黙示録ではイエス
の栄光が天の都を照らすので、太陽も明かりも必要が無いと書かれています。しかし、その時に
私たちは恐れる必要はありません。イエスとも顔と顔を合わせることができるのです。

 世の終わりが来ることを知って、私たちはどのような態度でいるべきでしょうか。それは、28
節にイエスが述べておられます。体をまっすぐにし、頭を上に上げなさいと言われています。心
を強くして、固く立っていなければならないのです。私たちは失望したり困惑したりしてはいけ
ないのです。それは、私たちの贖いが近づいているからだと言うのです。
 私たちは既にイエスの贖いの恵みをいただいていますが、世の終わりに次いでその贖いの最終
的な完成を見るのです。その時に私たちが期待することは何でしょうか。私たちは罪の影響から
完全に開放されます。悲しみや病、死を味わうことがなくなります。イエスの似姿によみがえら
され、栄光の体をいただくのです。私たちはイエスにあって永遠の命の希望を持っているのです。
世の終わりが近いと聞くと、人々は恐れ、心配するでしょう。しかし、私たちはイエスにある希
望を持って、固く立つのです。

まとめ)
1)イエスの言葉を信頼して従う
  直前の教えでは、私たちは偽預言者に騙されてはいけないと言われました。恐れや不安が有
 ると、平安を求めて偽の教えにも騙されてしまうことがあるのです。しかし、必要なイエスの
 言葉はすべて聖書に書いてあります。新しい教えは必要ありません。私たちは証をします。ま
 た、難しい状況にあっても忍耐する必要があります。そんな中でも、イエスの言われた約束、 
 髪の一筋も失われることはないということを信頼していくのです。そして、心を騒がせないで
 固く立つのです。

2)イエスに会う希望で心を満たす
  ある人にとってはイエスに出会うことは破滅であり恐怖であるかもしれません。私たちにと
 ってはそれは希望であり喜びです。だから、私たちはからだをまっすぐにし、頭を上に上げる
 ことができるのです。心を強く持ちましょう。イエスの栄光のことを考えるのです。私たちが
 イエスと共に相続する天国の栄光を自分に思い起こさせるのです。その時の様子は黙示録21章
 3節から5節に記されています。神の約束は信頼でき、真実なのです。