聖書箇所:詩編27編14節
説教題:待ち望め、主を
導入)
詩編3編と共に、この詩編はアブサロムの反乱に基づいていると考える学者がいます。そうでな
かったとしても、ダビデは敵がいて悩まされ、励ましを必要としている状況でした。ダビデは自分
を自分で鼓舞する必要がある状況でした。彼の嘆きと嘆願から目を留めましょう。
本論)
ダビデの悩みは7、9、11、12節に表れています。それゆえダビデは勇気づけられることが必要
でした。だから、自分に対して14節の言葉を言い聞かせる必要が有ったのです。しかし、それは自
己暗示ではありません。彼は過去の経験に裏打ちされた確信が有ったのです。それは13節に見るこ
とができます。13節は主節が欠けています。しかし、その内容は容易に想像がつきます。神の救い
を信じられなければ絶望したであろうということになるはずです。
彼の経験は2節に表されています。神は彼を守ってくださったことがあるのです。では、そのよ
うな神の守りを経験できるようにした要因はなんでしょうか。それは、ダビデと神の関係であった
と言えるでしょう。4節で彼は命の限り主の家に住まうことを願ったと言っています。ダビデの時
代にはまだ神殿は有りませんでしたから、主の家は幕屋でした。そして、実際にそこで生活すると
いうことではなく、日々礼拝の心を持って生きることの象徴的表現になっています。また、5節で
は彼は神への信頼と神の性質を告白しています。6節では、たとえ敵に囲まれていても神を賛美し
礼拝することを告白しています。このように、彼は過去の経験が彼の日々の生活の力の源の一つに
なっていたのです。私たちもダビデのように、神への性質、神への信頼を告白し、神との関係を保
ちながら生活しているでしょうか。
まとめ)
ダビデは1節で力強い信仰の告白をしましたが、14節では自分を鼓舞する必要が有りました。私
たちも同様な状況な時が有ります。雄々しくあれ、心を強くせよという命令は、モーセの後継者で
あるヨシュアに神から与えられた命令でした。しかも、神は三度繰り返してそう命じています。
ロビンソン・クルーソーの物語でも、彼が詩編27編14節の言葉で力づけられたという記述が出て
きます。作者のダニエル・デフォーの個人的な経験に基づていいたかもしれません。私たちは、神
の言葉で、自分自身に説教することが必要なのです。ダビデがしたように、神の真理の言葉によっ
て、自分自身に確信を持たせ、自らを再教育する必要が有るのです。心を強くすると訳された語に
は、力を回復させる、修復するという意味が有ります。私たちは神への信仰により、神の言葉によ
って継続的に心を回復させ続けなければなりません。だから、ダビデも14節では繰り返し表現を用
いているのです。
バイリンガル礼拝であったため、短くなっています。音声は有りません。