聖書箇所:箴言4章20節~27節
説教題:力の限り、心を見守れ
導入)
箴言の最初の部分はソロモン王によって書かれました。1列王記10章等から、彼の知恵は広
く知れ渡っていたと考えられます。シバの女王と同様に、多くの人が彼に答えを求めて訪ねて
来たことでしょう。
ソロモン王は「わが子よ」と呼び掛けていますが、箴言は跡継ぎのレハブアムだけでなく、
その読者のためのものでもあります。神の摂理により、神の言葉として私たちにまで伝えられ
ているソロモンの箴言から御心を求めていきましょう。
本論)
先ず、23節に目を留めます。「力の限り」という強調の表現が有ります。すると、この節が
この聖書箇所の中心的テーマと考えることができます。「力の限り」というのは、勤勉にとい
う意味の言葉が用いられており、見守る、見張り所という意味も有り、更には、番人が注意深
く囚人を見張る監獄の意味も有ります。この語を用いることで、ソロモンは私たちが集中し、
継続的に自分の心を見守るようにと教えているのです。
23節には、そうするべき理由も述べられています。もし心がよく見守られていれば、いのち
の泉が心からわくからだというのです。そのいのちは、意義深く、神に祝福されたいのちと生
活です。私たちは確かにそのようないのちを得たいと思うのではないでしょうか。どのように
したらそのいのちを得ることができるのでしょうか。
第一のポイントは20節に示されています。彼の言葉をよく聞くことだと書いてあります。そ
の言葉の目的は、1章7節に明らかにされています。「主を恐れることは知識の初めである。
愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」彼の言葉の目的は神を恐れること、主に私たちを近づける
知恵と訓戒を伝えることです。そうしますと、その言葉というのは、聖書の言葉全体と考える
こともできるでしょう。
21節では、単に聞くのではなく、注意深く集中して聞くことが求められていることが示され
ています。また、み言葉を心に留め、覚えておくことが求められています。「保て」という語
は、「大事に記憶に留める」という意味が有るのです。だからこそ、私たちも単に聖書を読む
のではなく、み言葉を暗記しようとするのです。
そのように実践するとどうなるのでしょうか。22節は、言葉がいのちとなり、全身を健やか
にする結果になると述べられています。それは先に確認した23節の内容とも一致しています。
この実践は、霊的ないのちばかりではなく、肉体的な健やかさももたらすというのです。ネッ
トのニュースなどを見ても、怒り、心配、邪な心を持っていると、肝臓、心臓、胃腸が悪くな
り、脳が委縮することもあるということが出ていたりします。ですから、神の平安による歩み
は私たちを肉体的にも守るのです。
第二のポイントは24節に示されています。私たちの口ひいては心から偽りと曲がった言葉を
取り除くことです。偽り、曲がったという語はどちらも曲がっていること、歪んでいること、
真実でないことを表す言葉です。そういう言葉は、諸刃の剣のように、他人を傷つけ、また、
自分自身を傷つけるのです。神についての間違った認識、劣等感なども、自分の心を苛むこと
になります。私たちが語り、また考える時、その思いは神の視点、聖書の視点からも正しいも
のである必要が有るのです。刀利きをする人やブランド品の鑑定をする人は、本物をきちんと
見、また偽物の違いを確認することを繰り返すといいます。正しい言葉と曲がった言葉を区別
して、曲がった言葉を取り除き、切り離すためには、やはり、聖書の言葉に親しまなければ、
なりません。
第三のポイントは、25節以下に示されています。目と足に関わる表現が用いられていますが、
共通の観点で述べられています。それは、焦点や道が真っすぐであり平坦であることです。私
たちは正しい目標に向けて真っすぐに焦点を当てなければなりません。道を歩くときには、障
害物が有れば取り除けて、平坦な道になるようにしなければなりません。霊的な歩みについて
言えば、私たちは真っすぐ神の教えに焦点を当て、間違った考えや言葉を取り除いて歩まなけ
ればならないのです。(第二のポイントに共通する点が有ります。)27節の表現は明らかにヨ
シュアに与えらえた神の戒めを反映しています。(ヨシュア1章7-8節参照)やはり、神の
言葉、戒めに関連した教えになっています。26節に出てくる「道」という表現は、人々が日常
的に歩く道をさしています。それは、私たちが神の言葉、神のみ心に日常的に焦点を当てて生
きてゆかなければならないことを示しています。目を用いた表現は私たちの心の姿勢を指し、
足を用いた表現は私たちの日常的な行動を指しているようです。どちらも正しい目標と目的に
則っていなければならず、聖書の言葉に則っていなければなりません。この部分においては、
ソロモンはその実践の目的もしくは結果を示してはいませんが。それが22節、23節に示されて
いるものと同じであることは明らかです。
まとめ)
最初に確認した通り、いのちに溢れた生活をするためには、勤勉に怠らず心を見張り、守ら
なければなりません。私たちがどのように心を見張らなければならないのかを再確認しましょ
う。
1)聖書の言葉をよく注意して聞き、覚えることによって心を守る
私たちが米を主食として、毎日飽きずに食べているように、私たちの心は聖書の言葉によ
って日々養われなければなりません。毎日、たとえ一節であっても聖書を読み続け、神の生
けるみ言葉を暗記し、大切に蓄えていきましょう。
2)心から曲がった言葉と考えを取り除くことによって心を守る
曲がった言葉が心に留まると、その言葉に思考や行動が支配されてしまいます。それが自
分を苛むことになったりします。また、他人を傷つける言葉を使ってしまったりすることに
もなります。また、真理や神への信頼から離れてしまうことがあります。そのようなことが
起きないように、いつも曲がった言葉を取り除き、聖書の言葉に置き換えていきましょう。
3)正しい目標に焦点を当て、神の言葉に従って心を守る
クリスチャンの生活の目標の一つは、神の栄光を現すことです。(1コリント10章31節)
私たちは神の国と神の義を先ず求めることによって神の栄光を現します。また、「神を愛し
隣人を愛しなさい」という戒めを守って神の栄光を現します。
その実践のために、私たちが正しい目標に真っすぐ焦点をあてるためには、祈ることと聖
書を読むことが不可欠です。祈る時も聖書を読む時も、私たちの焦点は神とその教えに当て
られているからです。
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