聖書箇所:マタイ13章44~46節
説教題:隠された宝と真珠の例話


44節)
   この人は他人の畑を耕していました。何故そんな所に宝が有ったのでしょうか。当時は
  巨額の富を持つ人でないと銀行のような機関を用いることはできませんでした。それで、
  宝をこっそり畑に深く埋めるということが有りました。場合によってはその場所がわから
  なくなったり、遺言し忘れたりすることが有りました。宝は当然土地よりも価値が有ると
  判断されたので、この人は持ち物を全部売ってでもそれを手に入れようとしました。
   この例話においては、天の国は神の摂理によって日常生活の中で見出すことがあり得る、
  天国の価値がわかる人は喜びに満たされる、天国の価値がわかれば全てを費やしてもそれ
  を得ようとする、等のことが見て取れます。

45節、46節)
   この人は、既に知恵や良き教えの価値を知っている人に例えても良いかもしれません。
  真珠は当時大変高価なものでした。そのことは当時の歴史家も記録しています。しかし、
  ヨブ28章は、知恵がどのような宝にも勝るとしています。福音は世界中のどの知恵にも勝
  るものです。
   キリストがこの時にご自身の十字架の死と復活を意識しておられたかは聖書には述べら
  れていません。しかし、真珠は命の象徴である部分が有ります。当時の真珠はペルシャ湾 
  で採取されたそうです。水深40メートルまで潜る必要があり、それで潜水病を起こしてダ
  イバーが死亡することもありました。真珠採取業は命がけだったのです。だから、20世紀
  初頭まで、真珠の価格は大変高かったのです。
   天の国、またその福音は、イエス・キリストの死と復活抜きには語れません。天の国の
  価値を知るということは、いかにイエス・キリストの十字架の贖い、死、復活が貴いかを
  知っているということです。
   黙示録21章は、天から下ってくる新しいエルサレムには12の門が有り、夫々が巨大な一
  つの真珠でできていると述べられいます。それは、ヨハネ14章6節の、「わたしを通して
  でなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」という言葉にも通じると 
  思われます。天の国に入るためには、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れなけ
  ればならないのです。
  
まとめ)
1)私たちは福音の価値を理解しなければなりません
 イエス・キリストによらなければ罪に死んでいる存在であり、イエス・キリストによらなけ
 れば希望と救いが無いという状況を自覚すれば、福音が如何に価値が有るかが感じられるこ
 とでしょう。それを失いたくないので、44節の例話では宝を隠してでも手に入れようとして
 いるのです。

2)私たちは熱心に福音を追い求めていかなければなりません
 例話に出てくる人たちはどちらも持ち物をすべて売り払って宝や真珠を得るための投資をし
 ました。真珠の商人の行動は、遠距離の移動を含んでいたかもしれません。そのような努力
 をしてでも、追い求めていく必要があります。私たちの聖書通読、祈り、奉仕の生活に心を
 傾けることもその表れと言えるでしょう。

3)私たちは個人的に天の国の生き方をしなければなりません
 福音を受け入れて天の国の生き方をするということは、神が私たちの上にすべての権威を持
 つ王になったということです。生活の有様が変わらなければなりません。完全にその王であ
 る神に信頼しなければなりません。また、御心を求めて行動しなければなりません。神に対
 する信頼と信仰を実際に働かせてください。へブル書12章に述べられているように、その信
 頼と希望が患難をも耐えることのできる力の源となりますように・。


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