聖書箇所:ヨハネ6章52節~71節

研究ノート

 59節までは、集まったユダヤ人に対するイエス・キリストの言葉です。
・多くの者は霊的な理解ができなかったために、実際に肉体を取って食べるという発想しかできま
 せんでした。
・血と肉という表現から、イエス・キリストの十字架の苦しみと贖いを表していることが分かりま
 す 食べて飲むということは、信仰をもってその教えを自分のものとすることを表します。そう
 する人 をイエス・キリストがご自身の権威を持って永遠の命へとよみがえらせると宣言してい
 ます。本章においては、四度めの宣言です。
・56節の「とどまり」は、最後の晩餐でイエス・キリストがブドウの木の譬で用いたのと同じ言葉
 です。その関連から、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストの教えを守るということが思
 い起されます。また、キリストは教会の頭であり、教会はキリストの体であるという教義にも通
 じる部分が有ると思われます。

 60節~71節は、弟子たちに対するイエス・キリストの言葉です
・弟子たちの中にもキリストの教えが受け入れられなかったことが示されています。「ひどいこと
 ば」という表現中の「ひどい」と訳された語は、乱暴な、気分の悪い、耐えられないという意味
 が有ります。キリストがご自身を「天から下ってきた」とすることが不遜に思えたり、「肉」や
 「血」という表現が気持ち悪いということが含まれているようです。また、この表現は、へブル
 語をギリシャ語に置き換えたものとして、「理解できないことば」「同意できないことば」とい
 う意味も有ったかもしれないとする注解も有ります。
・61節 つぶやいた弟子たちは、イエス・キリストをメシアとして受け入れきれていないことにな
 ります。イエス・キリストは彼らの内心を見抜いていることを示すことによって、真の預言者で
 あることを示そうとされたのかもしれません。
・62節は、「天から下って来た」ということが受け入れられないなら、死とよみがえりを経てキリ
 ストが昇天したという証を聞いても何も益とはならないだろうという意味に考えられます。これ
 は昇天の預言とも取れます。
・63節 これまでの話は霊の世界における霊的な理解であるということを再確認されたる言葉です
・65節 37節、44節の再確認です。

 66節~71節は、特に12弟子に対するイエス・キリストの言葉です
・イエス・キリストから離れた弟子たちは、キリストを自分たちの考える尺度でメシアではない、
 もしくは正しい教師ではないと判断したことになります。
・67節のイエス・キリストの質問は、「いいえ、そんなことはありません。」という回答を期待す
 る時の疑問文の形が用いられているそうです。
・イエス・キリストの期待通り、ペテロが12弟子の代表として「私たち」という主語で回答をして
 います。「永遠のいのちのことばを持っておられます。」という表現で、それまでキリストが語
 られた言葉を受け入れ、またキリストをメシアとして受け入れていることを示します。また、69
 節の「神の聖者」という称号で、キリストのメシア性を追認しています。
・イエス・キリストはご自身が選んだ者たちをよくわかっていることを示しています。しかし、そ
 のうちのひとりにはイスカリオテのユダがいました。「悪魔」というのはここでは敵、もしくは
 反対するものという意味合いです。
・このユダの有様は、マタイ7章に出てくる偽預言者にぴったりと言える部分が有ります。

ごく簡単なまとめ
・イエス・キリストの十字架の贖いの業を受け入れなければ永遠のいのちを持つことはない。
・霊的な内容は霊的な思考によって理解しなければならない。そこには、人間の自発的な思いと、
 神の恵みの相互作用が必要になる。(65節)
・イエス・キリストの弟子とは、キリストがメシアであり、永遠のいのちのことばを持っていると
 いう信仰をもつ者たちである。