聖書箇所:ヨハネ6:16‐29

研究ノート

16節 「夕方」には4時頃と日没の頃の二種類有あって、こちらは日没の頃と言えます。17節
   では、「すでに暗くなっていた」とされていることに合致します。
17節 マタイ13章ではイエス祈るために山に登られたとしているので、まだ祈っておられたと
   思われます。
18節 17節に有るようにカペナウムの方へ行ったのですが、そちらには標高181m程のアルベル
   山があり、しかもガリラヤ湖は海抜-213m程であったため、夕方に冷えた空気が一気に
   湖面に向けて流れ下り、強い逆風に合うことになりました。それにも関わらず湖を渡る
   ように指示されたのは、キリストに何等かのお考えが有ったためと思われます。
19節 弟子が恐れた理由は、夜、湖上で嵐に遭うと、悪霊が来て人を溺死させるという言い伝
   えが有ったためではないかとする考えが有ります。
20節 「わたしだ」というのは、直前に5000人の給食の奇跡をなされた人物だということであ
   り、「救い主だ」という宣言と同等に捉えられる内容だと言えます。だから恐れる必要
   がないのです。
21節 「喜んで」は別訳では「望んで」となる語です。ほどなく舟が目的の地に着いたのは、
   キリストが風を鎮めたから、もしくは、キリストの奇跡をなされたから、という二つの
   理由が考えられます。キリストを喜び、望んで迎え入れる時、神の与えられた目的地に
   着く事が有ることを示唆しているように思われます。
22節 前日の状況分析をして、人々はキリストがまだ近くにいるのでがないかと思って探しま
   したが見つけられなかったということをのべているように思われます。
24節 テベリヤはカペナウムと同じガリラヤ湖西岸に有る所です。寄り道をさせることになり
   ますから、賃金を払ったかもしれません。
25節 人々は、キリストが夜のうちに湖を歩いて、また舟にのって移動したことは知りません
   から、いつどうやってカペナウムに来たかと質問しました。
26節 キリストは、人々の質問には直接回答なさらず、彼らの人間的思いを指摘されます。す
   なわち、彼らはパンの奇跡からキリストをメシアと認めて訪ね求めて来たのではなく、
   只でパンを食べさせてくれる人物として、更なる利益を求めて訪ねて来たのだというこ
   とです。
27節 「働く」という語は、労する、営業するというような意味を持つ語です。わざわざ小舟
   を手配して訪ねて来た様子につながります。そういう努力は、永遠の命をのためにしな
   さいということでしょう。キリストにその永遠の命を与える力が有り、キリストがメシ
   アであることを天の父なる神が認証しているのですから、そういう人物として訪ね求め
   なさいと促しています。
    認証は、バプテスマのヨハネの証、キリストの受洗の時の天からの声、直前のパンを
   与える奇跡を合わせて示していると考えられます。
28節 自分達の心の内を見透かされて、人々は気分を害したかもしれません。「神のわざを行
   うために、何をすべきでしょうか。」という、一見キリストの勧告に従うように見える
   質問をしますが、この後の展開は、キリストを信頼する姿勢ではないようです。
    「行う」と訳された語は、27節の「働く」と同じ語です。神のわざの営業はどうする
   ことでしょうか、という感じにも受け取れそうです。
29節 回答は、27節の内容の再確認と言えるでしょう。キリストをメシア、救い主として信じ
   ることが神に属する行いであり、神のわざの営業であるということになります。

ごく簡単なまとめ
・救い主イエス・キリストを望み、喜ぶことが私達の霊的な歩みを安定したものにします。
・イエス・キリストが約束のメシアであることは神によって明確に示されています。
・従って、イエス・キリストを救い主として信じ、信頼することが、私達が取り組むべき神の
 わざです。