大変お久しぶりです。

更新するたびにお久しぶりになってしまって、すみません。
想像以上に育児が忙しく、日常をこなすのに精一杯で、こちらまで手が回らずにいます。



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さて、先に言っておきますが… 

今回の記事は、あまり気持ちの良い内容ではありません。

虐待、暴力などについて触れています

不快になる方は、どうかお引き返しください。

この先は自己責任、ノークレームでお願いします。



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数日前、初めて、1歳5ヶ月の息子の顔を叩いてしまった。



左頬を、一発ビンタして怒鳴りつけてしまいました。



もちろん本能的に手加減して、ぺちんっとも音が鳴らない程度の力で、赤くも青くもならず、子供も特に大泣きしたりはしなかった。



だけど、まだたったの1歳の子のほっぺを、叩いてしまった。





キッカケは、本当に小さいことでした。

畳んだ洗濯物を全部ぐしゃぐしゃにされたこと。

片付け終わった途端にまたおもちゃを全部ひっくり返されたこと。

グズグズ泣き止まなかったこと。

そして、何度ダメだと言ってもお茶をわざと吹き出すことを繰り返したこと。



心に余裕があるときは「あーあ」で済ませられることも、イライラが募って許せなくなっていました。



このときは、数日前から育児に辛さを感じていて、私自身毎日ギリギリのところで育児をしていました。

日頃は月に何度かのママ友とのお喋りや支援センターに行くことがストレス発散になっていました。
でも、それがコロナの影響で何ヶ月もできなかった。

同じくコロナの影響で、子供を預けてリフレッシュもできなかった。

夫の仕事の関係で金銭的な不安が生じて、心に余裕がなかった。

テレビを見せれば楽になるけど、テレビは良くないという話を聞いていたので頼りたくなくて家事以外では100%自分が相手をしていた。

生理前だった。

など、色んな条件が重なって、いつも以上に沸点が低くなっていました。



でも。でもね。

息子は、本当に、叩く程のことをしたんだろうか。

生命の危険になるようなことをしたのか。

誰かを傷つけるようなことをしたのか。



冷静になった今なら、わかります。

本当に、罪悪感がすごくて、毎日ごめんね、と言わずにはいられません。



ただ、ふと思うこともあるのです。

私がやったことは、虐待になってしまうんだろうか。

毎日子供のために
洗濯をして、
掃除をして、
清潔な着替えを用意して、
何度もオムツを替えて、
三食栄養を考えて食事を作って、
食べさせて、
後片付けをして、
遊びに連れて行って、
抱っこして、
話しかけて、
お風呂に入れて、
寝かしつけて。

どんなにイライラしても、落ち込んでも、忙しくても、毎日こんなに手間と愛情をかけてお世話をしていても、このたった一回の行動は「虐待」になってしまうんだろうか。





旦那には相談できませんでした。

旦那はオレンジリボン運動(ピンクリボンとかの児童虐待防止バージョンみたいなやつ)のサポーターになっています。

そんな人に「子どもを叩いてしまった」とは言えませんでした。

また、前に育児が辛い、日中2人でいるとき子供が可愛いと思えないと溢した時には、

「子どもが可哀想」

「じゃあ保育園に入れて働けば」

と言われるばかり。

何だかすごく私が母親として欠如しているような、責められているような気持ちになり、それ以来この手の話はできなくなりました。

違う。

そんな解決方法みたいなことを聞きたいんじゃない。

そんな責めるような言葉、言わないでほしかった。

私が言ってほしいのは、「明日からもまた頑張ろう」と思える一言。

「大変だよね」
「ありがとう」
「頑張ってるんだね」

たったこれだけでいいのに。

でも、それを伝えることは、働いている夫に対して「私を労え」と言っているように思えて、それもできず…

育児中のネガティブな話(私のメンタル的な)は夫には話さない方が傷つかないと思い胸にしまうことにしました。




区役所の担当の課に電話しようとも何度も思いました。

でも実名で助けを求める勇気が出なくて電話できなかった。

匿名で相談する機関、あるのかもよく知らないけど、本当に匿名でできるのか。

こんなことを話したら、児相に通報されるんじゃないのか。

そのために名前を聞き出されるんじゃないか。

そしたら、今度は児相の監視に怯えて暮らすことになるのか。

なんて考えが頭を巡って、電話できませんでした。




息子を溺愛する母にも話せなかった。

夫のときのように、責められる、失望されるんじゃないかと思うと勇気が出なかった。





そんな時、ネットのある記事を読んで、

「あぁ、私、子供を叩いて怒りをぶつけたいわけじゃない。」

「辛いんだ。」

「助けてほしいんだ。」

と気付きました。



それは、日常的に身体的虐待を繰り返していた人の記事でした。

ある日、子供が母親に絵を描いてプレゼントしてくれました。母の似顔絵でした。

子供の前では一度も泣いたことがなかったのに、子供がくれた似顔絵の母親は、泣いていたらしい。

そして一言「お母さん、大好きだよ」と。



子供の目には、毎日自分に暴力を振るってくる母親が、泣いているように見えていたのかな…。



この記事を読んだとき、そうだ。私、泣いてるんだ。とても辛くて、心が泣いてるんだ。助けてほしいんだ。と思いました。

子供を傷つけながら、涙を浮かべる母親の気持ちが、痛いほどよくわかったから。

区役所に電話しようと思ったのは。
匿名で誰かに話したかったのは。
心が「助けて」と叫んでいたからなんだ。




自分の行いを正当化するつもりはありません。
私のしたことは紛れもなく許されないことです。
この記事をを読んで、共感する人もいれば、虐待だと思う人もいるでしょう。

でも、私が感じたのは、子供を叩く親と叩かない親に、明確な線引きなんてない、ということ。

まさに綱渡りのようにみんなギリギリのところに立って育児していて、助けを求めてる。

誰もが最悪のところに足を踏み外す可能性は持ってる。

日頃から憎くて。とか、産みたくて産んだわけじゃなくて。とかなら別かもしれませんが、

少なくとも、一生懸命育児してきてギリギリまできてしまったお母さんたちは、最初の一発のときは心は怒っているのではなくて、泣いていたのだと思う。



あのときの私を、抱きしめて言ってあげたい。

テレビ見せてもいいじゃん。
おやつ食べさせてもいいじゃん。
子ども傷つけるよりずっとマシだよ。

って。




私がこのことを記事にしようと思ったのは、1人でも他人の目に触れて、自分の中に‘隠蔽’しないため。
今の気持ちを忘れないようにするため。
戒めのため。
そして、吐き出したかったため。




姿が目に入るたび、叩いた左頬を見ては泣いてしまう。

寝言泣きするたび、叩かれた夢を見ているんじゃないかと思って泣いてしまう。

何百回、何千回、何万回言っても足りない「ごめんね」

叩いた日は、罪悪感と自己嫌悪で夜通し泣いて「ごめんね」と言い続けた。

大好きって伝えて、それは紛れもなく本心なんだけど、「あんなことしておいて、大好きなんて言う資格あるんだろうか」と葛藤する。

それでも朝目を覚ますと、ママを探して、目が会うと嬉しそうにニコッと笑って、甘えてくる。
無邪気さに胸が痛くなる。





あれから数日経ってます。
でもこの罪悪感と後悔は少しも薄れていません。
この気持ちは、忘れてはいけないものだと思っています。




1歳5ヶ月。
叩かれたことなんて、記憶には残らないのかもしれない。

でも、だからと言って「無かったこと」にはできない。

叩いた/叩かれた事実は消せない。

本当にごめんね。

今もまだ、毎日イライラすることもあるよ。

いつだってギリギリのところにいるよ。

でも、もう絶対に、二度としないと心に誓う。


本当に本当にごめんね。

本当に本当に愛してるよ。