「インテグラル・ヨーガ」パタンジャリのヨーガ・スートラ

 

をもとに、私なりの解釈や体験談を語ります。

 

 

 (15)見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識が無執着(離欲)である。

 

私たちは何かを見たり聞いたりすることで、ああ羨ましいな、欲しいなっていう欲にかられる。

 

でもそれが本当に自分にとって要るものなのかどうか見極めるべきであり、

 

欲のまま生きてはいけないよねっていう、ヨガの教えです。

 

 

 

例えば、私たちは働き、お金を得ることで生活することができる。

 

そしてある程度のお金は貯めることができるでしょう。

 

仮にそのお金を自分のためだけに使うとすると、何に使いますか?

 

好きなモデルさんが持っているバックを手に入れるためなのか、

 

流行りのおしゃれなカフェに行くためなのか、

 

あるいは貯金が増えることが嬉しいだけなのか。

 

もちろん得たお金の使い道は人それぞれではありますが、

 

私が言いたいのは、自分の欲を満たすためだけになってはいけないよねということです。

 

 

 

私の場合、「貯金が増えることが嬉しい」に該当します。

 

増えていく通帳の現在高を見ると、よく頑張ったと自信が持てるような気がして好きなんです。

 

結構な節約主義者ですし、数字が減ることにとても嫌悪感を抱きます。

 

お金は使うためにあるのに減ると悲しくなるのは、お金に執着してるからなんだなーと

 

思いつつ、やめられないのも現状なんですが、、、。

 

しかも貯めれば貯まるほど、もっと、もっとと欲が出るのです。

 

職場で地位が高くなればなるほど、その座を奪われたくない、もっと上を目指したい

 

と思うのと同じことでしょう。

 

億万長者や地位の高い人たちは、本当に幸せか?

 

おそらくそんなこともないでしょう。それを失うという恐怖心を日々抱えているはずです。

 

失うものがなく、何も持たないからこそ、平安を手に入れられるのです。

 

そのため、必要以上に稼がない、あるいは自給自足の生活をするというのも

 

一つの手ではないかと検討中でございます。

 

 

 

そしてもう一つ、私の体験談。

 

前回のストレッチの話です。

 

私は昔、毎日ストレッチ(というか強制柔軟)を家で約2時間していました。

 

なぜ2時間もしていたのか、それは所属するクラブチーム1番の柔軟性を誰にも奪われたくなかったから。

 

そしてもう一つ、自分の柔軟メニューにこだわりがあったからです。

 

柔軟メニューは20種類ほどあり、1つにつき10秒間伸ばすというものでしたが、

 

20種類をこなしていく中で、身体の骨がポキっと鳴ったらまた1からやりさなければならない

 

という謎のマイルールがありました。

 

今思えば本当に謎すぎるこだわりでしたが、

 

当時はポキっと鳴ったら、まだ柔らかくなっていない証拠だと思い、

 

取りつかれたようにひたすらにやっていました。

 

最後の20種類目で鳴った時の絶望感といったらとんでもありません。

 

泣き崩れます。大泣きしながら、また1からやり直しました。

 

当時中学生でしたが、夜中の2時まで、4時間近くかかった日もありました。

 

身体を柔らかくすることが目的なのに、それを見失い、

 

ただひたすらにマイルールに従いたいという欲にかられ、

 

心は乱れまくりでした。

 

 

 

こだわりは、様々な障害により私たちの心を乱れさせるのです。

 

何事にもとらわれず、執着しないことで自由になれるのです。