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人と話しをしていて、驚愕の事実を知った。
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前も書いたかもしれないけど、学生の時、精神的にしんどすぎて飲食店のアルバイトを3か月で辞めたことがある。
そのバイトの帰り道、「ホームに電車が入ります、お気を付けて」のアナウンスが合図に聞こえて、線路があの世への入り口に見えたことがあった。
思い出すだけで腹痛になるんじゃないかっていうくらい辛かったはずなんだけど、その瞬間私にとって「線路があの世への入り口に見える私」が
私主人公の絵になった!
それが個人的に物凄く絵になっていたと思っていて、それからも、辛い時に「辛い私」を主人公にして絵を思い浮かべることがある。「幸せな私」もしかり。
ただ、「幸せな私」の絵よりも「辛い私」の方が絵としては好き(もちろん現実では幸せの方が好きですが)で、「幸せな私」では絵のパターンが1つなのに対して、「辛い私」だとパターンをいくつも考えられる。
たとえば、その「線路があの世への入り口に見えるくらい辛い思いをしているアタシ」の絵でも、なんというか、青みがかった絵で、一歩踏み出すアタシに電車の警笛がBGMとして付いている絵が思い浮かんだり。
かと思えばそのときに、右から「アイドルちゃん!ダメよ!まだその時じゃないわ!」っていう天使のアイドルちゃんが出てきて、左から「いっちゃえ!楽になるぞ!」っていう悪魔のアイドルちゃんが出てきて、「あーんっ!もうわかんないっ!」って惑うみたいなコメディ的なものも思い浮かんだ。
「駅」という縛りが外れれば、人が沢山いるとこ(スクランブル交差点的な)ところを歩いていて、BGMは雑音で、ピントが「死にたい私」に合わせられている白黒の絵を思い浮かべたり、一方で、緑の芝生に青い空をバックに、「死にてぇぇぇぇぇぇぇ!」って叫んでる絵を思い浮かべたりとか。
幸せだとそれができなくて、BGMは明るい歌で、絵も1つなんです不思議と。ルンルーンっ的な。
だから「辛さ」って私の人生には必要なんだよなって思うんです。絵にする余裕があるときはね。そういうの考えてるときは割と私幸せだし。
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それを楽しいと思うかどうかは別として、そういうことって多かれ少なかれ誰にでもあると思っていた。駅とかでよくそういう絵に浸っている人を見ているような気がするし。
私はそれが他人にとって迷惑じゃない限り、そういう「自分が主人公の世界」にいる人を極力邪魔しないように心がけている。
そのかわり「自分が主人公の世界」が迷惑だと感じたら
その世界をぶち壊すために
叩きのめすタイプ。
誰にでも寄り添ってあげることが23年間生きてきてもできない。
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それが、この話しを人にしたときに「そんなこと(自分を主人公に絵を考えるなんて)したことしない」って言われて、本当に驚いた。ただ、「そういうことしなさそうな人」を見たことが無いかと言えばそんなことないし、私の周りにいた人を考えてみれば大体は「そういうことしなさそうな人だな」と思った。そういうことをしない人ほど、キャラにブレが無いと言うか。私なんか着ている服にキャラが揺られるタイプだから。
きちんと考えてみないと勘違いに終わってしまうことって山程あるらしい。
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そういう数年間を生きてきた私は、今や自分に止まらず
他人を主人公にドラマを作り上げております。
その話はまた後日・・・。
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以上!アイドルちゃんでした!